Thầy Shimazono là một trong những tâc giả mà chủ nhân Giao Blog thích đọc, thích trích dẫn, và có giao lưu ở ngoài đời thực.
Thầy Shimazono (sinh năm 1948) xuất thân trong một gia đình có truyền thống Y học, nhưng ông đã chọn con đường khoa học xã hội (văn hóa dân gian, văn học dân gian, tôn giáo học). Ông nguyên là Giáo sư của Đại học Tokyo (chuyên ngành Tôn giáo học - Lịch sử Tôn giáo thuộc Khoa Văn học), hiện là Giáo sư của Đại học Sophia (Khoa Thần học).
Nhân sự kiện nguyên thủ tướng Nhật Bản Abe Shinzo bị ám sát bởi một phần tử có liên quan đến tôn giáo mới (gọi là Giáo hội Thống nhất), thầy Shimazono đã đưa ra quan điểm của mình với tư cách một nhà tôn giáo học.
Có một video đối thoại và một bài trả lời phỏng vấn báo chí mới đây của ông được lên đầu tiên. Các tư liệu khác sẽ dán ở bên dưới đó.
Đại khái, thầy Shimazono chủ trương rằng, luật tôn giáo của Nhật Bản lấy nguyên mẫu là luật tôn giáo của Mĩ nên nhấn mạnh vào "tự do tôn giáo". Cũng do tự do tôn giáo nên đã tự nhiên sinh ra không khí "không quan tâm" trong xã hội. Chính không khí này đã tạo sự mất cảnh giác đối với những giáo đoàn có tính phản xã hội. Bây giờ, cần phải xem lại dể điều chỉnh luật tôn giáo. Ông nói: "Phải làm sao không bị ô nhiễm bởi các giáo đoàn ác tính/cuồng giáo/tà giáo" (カルトに汚染されないようにする必要がある).
Trang blog của thầy Shimazono ở địa chỉ sau: http://shimazono.spinavi.net/wp/
Tháng 9 năm 2022,
Giao Blog
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Kiến giải của học giả Nhật Bản về luật tôn giáo Nhật Bản - thầy Shimazono nói về Giáo hội Thống Nhất
0 lượt xem 11 thg 9, 2022
統一教会の”特異”とそのカルト性の”普遍” 島薗進さん 世界を変える100人の働き人66人目 2022.7.29
統一教会(世界基督教統一神霊協会。現・世界平和統一家庭連合)は、他の新宗教とはどこが違うのか、発祥・発展にみる時代の刻印、さらには種々の宗教のカルト的要素が世界に及ぼす危険について、島薗進さん(東京大学名誉教授)に伺いました。 2022年7月25日 収録
https://www.youtube.com/watch?v=EkoFpWDnCKo
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宗教団体の反社会的行為、グレーゾーンに線引きを 東京大の島薗進名誉教授
配信
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を巡る問題に関連し、宗教団体の反社会的行為を日本の現行法で取り締まることは可能なのか。カルト規制のための新法は必要なのか。専門家は大前提として、宗教を理由に目を背けてきたグレーゾーンを排除し、明確な判断基準を設ける必要性を訴える。 【表でみる】若年層狙う宗教団体の勧誘手法とは 東京大の島薗進名誉教授によると、戦後の日本では米国にならう形で宗教が自由化され、仏教や神道、神仏習合など多様な宗教が併存してきた。その自由さが無関心さにつながり、「変な団体であろうと目くじらを立てないできた」(島薗氏)。結果的に、反社会性の強い宗教でもはびこる素地が生まれたという。 日本の宗教法人法には、解散命令の規定があるが、適用事例は凶悪事件を起こしたオウム真理教などに限られる。島薗氏は「これまでは宗教法人というある種の特権を無条件に保持させてきた」と指摘。民事訴訟に繰り返し敗訴している場合などには、法人格の適性を問う必要があるとする。 旧統一教会を巡る霊感商法トラブルでは、団体側に信者らをだます意思があったことなどを証明するのは難しいのが現状で、島薗氏は「グレーゾーンとされる部分を脅迫罪や詐欺罪と認定できるようにすべき」と訴える。 一方、解散命令の要件を具体的に定めるよう見直すのは容易ではない。島薗氏はカルトの定義付けを「難しい」としながらも、「違法行為や人権侵害を多数行っている」「閉鎖的であったり、攻撃的であったりする」といった点を挙げる。 海外では学校の授業で「宗教」を学ぶ場もあるといい、島薗氏は「カルトに汚染されないようにする必要がある」とリテラシー教育の重要性を説いた。 (吉沢智美)
https://news.yahoo.co.jp/articles/8e27f807a6a39ebccdcd2da3e1315acfcc7cc13c
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BỔ SUNG
2. Kiến giải của học giả Ikeda (một nhà não học nổi tiếng ở Nhật Bản)
池田教授が考察。なぜ人間だけが宗教を信じ「カルト」にハマるのか?
仏教と神道の区別も気にせずざっくり家内安全や商売繁盛を願ってしまう多くの日本人にとって、私財をなげうつほど宗教に傾倒する人のことを理解するのはなかなか難しいもの。篤い信仰心が生まれるとき、脳の中では何が起きているのでしょうか。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では、CX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみ、生物学者の池田清彦教授が、大きくなりすぎたヒトの脳の中に、神を感じる領野があるとの研究を紹介。カルト団体がセミナーや勉強会と称し脳を酷使させるのは、その部位に刺激を与え活性化させるためと、洗脳の手法を科学的に解説しています。
なぜカルト宗教にはまるのか?
安倍元首相殺害の山上容疑者は、母親が家族を顧みずにのめり込んだ統一教会に肩入れしていた安倍元首相が許せなかったとのことだが、一部の人はなぜカルト宗教に夢中になるのだろうか。山上容疑者の母親は、統一教会に入信する前にも「朝起会」という宗教にはまって、子どもを放り出して朝早くから宗教の集まりに出かけていたようだ。
この母親はよく夫に怒鳴られていたというので、夫から逃げたい一心で宗教に夢中になったという面もないわけではないだろうが、夫がノイローゼになって自殺した後も、行動を改めることもなく、夫の遺産を全部統一教会にお布施として差し出しており、お布施の総額は1億円にも上るとのこと。家庭は極貧になり山上容疑者の兄も自殺し、山上容疑者も大学に進学するお金がなくて高卒で終わっている。
山上容疑者が逮捕された後も、この母親は信仰をやめないようで、なぜそこまでカルト宗教にはまるのか理解に苦しむ、というのがごく普通の反応だろう。敬虔な宗教家であっても、実の子供を犠牲にしてまで入れ込む人はまずいない。この母親の脳は、相当いかれているのだろうと思わざるを得ない。
そもそもなぜ一部の人はとことん宗教を信じるのか。人間以外の動物には宗教といったものはない。宗教は、動物に比べて大きくなりすぎたヒトの脳が作ったファンタジーだからだ。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教(これらの宗教の起源は同一で、ユダヤ教からキリスト教が派生し、キリスト教からイスラム教が派生した)などの世界宗教になった一神教の起源は、高々3300年前である。
これは独裁的な帝国の出現と軌を一にしている。その前にも宗教はもちろんあったが、主としてアニミズム的な多神教で、一神教は稀であったと思われる。絶対神は独裁的な帝国のもとで、この世に絶望した奴隷状態の人々が死後のバラ色の世界を夢想したことと強い相関があることは間違いなく、それ以前の狩猟採集生活をしていた人類は、現世の暮らしにそれほど絶望していたわけではなかったので、極端な一神教は発生しなかったのであろう。
現在の欧米諸国のカトリックやプロテスタントを信じている人々の多くは、別に現世に絶望しているわけではないだろうけれども、キリスト教徒であるのは、自分が暮らしている社会のマジョリティの習慣を守る方が無難だからだ。いわば、信仰はフリみたいなもので、生活をなげうってまで信心を徹底する人は稀だ。日本ではマジョリティは無宗教なので、多くの人は無神論者か形ばかりの仏教徒である。
その中で、カルト宗教に憑りつかれる人は、神にすがることで、現世の苦しさから逃れたいのだろう。もちろん、現世に絶望していても神にすがらない人もいるので、神にすがる人は、脳の中で、何か特殊なことが生じていると考えざるを得ない。どうやらヒトの脳の中には神を感じる領野があるようなのだ。
V.S.ラマチャンドランの名著『脳の中の幽霊』(角川書店)には、自分の側頭葉を磁気で刺激して神を感じた研究者の話が出てくる。また、側頭葉てんかんの患者さんの中には、神を感じる人がいるようだ。
私は数多くの患者が「神々しい光がすべてを明るく照らしていた」あるいは、「究極の真実は、平凡な人間には決して手の届かないところにある。そういう人たちは日常生活のあれこれにどっぷり浸りすぎて、究極の真実の美しさや壮大さに気づかない」といった話をするのを聞いてきた」(同書p.229より)
側頭葉に磁気刺激を与えられた人や側頭葉てんかんの患者さんではなくとも、この部位が活性化すれば、神を感じたりすることはありそうだ。どうやら神は左側頭葉のシルビウス溝に宿っているらしい。前記の本には、側頭葉に磁気刺激を受けて神を感じたという話を聞いたラマチャンドランが、「その装置をフランシス・クリックに試してみるべきかもしれないぞ」とにやりと笑って言った、という記述がある。フランシス・クリックとはもちろんジェームズ・ワトソンと共にDNAの二重らせん構造を発見した生物学者で、無神論者と喧伝されていた人物で、この本が書かれた当時まだ存命であった。
この記述から、ラマチャンドランが、無神論者の神を感じる脳領域は活性化しておらず、何らかの手段で活性化してやれば、神を感じるに違いないと考えていたことが分かる。シルビウス溝が活性化しなければ、神を感じることはないが、何らかの刺激で活性化すると、神が降臨してきたという感覚にとらわれることは、神の啓示を受けて教祖になった人が沢山いるということからも確かだと思われる。
それでは、シルビウス溝は磁気刺激以外ではどんな時に活性化するのだろう。よく知られているのは集中治療室で治療を受けている時や、死にかけた事故の直後、薬物でトリップしている時、あるいはすさまじい修行をして、精神がトランス状態になっている時などである。カルト宗教が人々を洗脳して、入信させる際に、セミナーとか勉強会とか称して、脳を酷使させてトランス状態に導こうとするのは、シルビウス溝を活性化させて、神を感じさせる(あるいは神秘体験をさせる)ためである。
シルビウス溝の活性化が報酬系や扁桃体と結びつくと、ドーパミンが分泌され、極めて強い快感が生じ、いわゆる宗教的な法悦に浸っている状態になるわけだ。単純に言えば宗教依存症になった状態である。ひとたび、ある刺激-報酬系の経路が確立されると、これを元に戻すのが難しいのは、アルコール依存症、ニコチン依存症、セックス依存症、ギャンブル依存症などの例を見ても明らかなので、一度カルト宗教に引きずり込まれた人を改心させるのは、なかなか難しい。 (『池田清彦のやせ我慢日記』2022年9月9日号より一部抜粋。続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)
この記事の著者・池田清彦さんのメルマガ
1. Lời tự giới thiệu và tác phẩm của học giả Shimazono
自己紹介
宗教学に親しみ、40年を経ました。近代形成期から現代までの日本の宗教史の研究を中心に、現代世界の諸地域の宗教のあり方の比較研究を進めてきました。この10数年は、医療と関係する領域での仕事が増えてきて、死生学という新たな領域に踏み込んでいます。人文社会系の諸学問領域に関心があり、不勉強を承知で手を広げてきました。しかし、人間の死生や生き方、そしてともに生きることの喜びと悲哀の近くで仕事をしていきたいという気持は変わっていません。
(A) 1999年以後の著書
1)単著
『時代のなかの新宗教――出居清太郎の世界1899-1945』弘文堂、1999年12月、viii+268ページ
『ポストモダンの新宗教――現代日本の精神状況の底流』東京堂出版、2001年9月、vi+270ページ
『〈癒す知〉の系譜――科学と宗教のはざま』吉川弘文館、2003年3月、8+266+19ページ
From Salvation to Spirituality: Popular Religious Movements in Modern Japan, Trans Pacific Press, 2004(September), pp. x+348.
『いのちの始まりの生命倫理――受精卵・クローン胚の作成・利用は認められるか』春秋社、2006年1月、v+326ページ
『現代救済宗教論』(復刊選書)青弓社,2006年10月、254ページ(1991年7月、同社より刊行したものの復刊)
『スピリチュアリティの興隆――新霊性文化とその周辺』岩波書店、2007年1月、xiv+314+17ページ
『精神世界のゆくえ――宗教・近代・霊性』秋山書店(新版)、2007年5月、13+382ページ
『宗教学の名著30』筑摩書房、2008年9月、286ページ
『国家神道と日本人』岩波書店、2010年7月、xiv+237ページ
『日本人の死生観を読む』朝日新聞出版、2012年2月、iv+244ページ
『現代宗教とスピリチュアリティ(現代社会学ライブラリー8)』弘文堂、2012年12月、149ページ
『つくられた放射線「安全」論』河出書房新社、2013年2月、265ページ
『日本仏教の社会倫理――「正法」理念から考える』岩波書店、2013年9月、xii+281ページ。
『倫理良書を読む――最後に生き方を見直す28冊』弘文堂、2014年2月、268ページ
『国家神道と戦前・戦後の日本人――「無宗教」になる前と後』河合文化教育研究所、2014年9月、94ページ
『宗教・いのち・国家–島薗進対談集』平凡社、2014年10月、243ページ
『物語のなかの宗教–NHKラジオテキストこころをよむ』NHK出版、2015年1月、192ページ
『いのちを”つくって”もいいですか?--生命科学のジレンマを考える哲学講義』NHK出版、2016年1月、238ページ
『宗教を物語でほどく--アンデルセンから遠藤周作へ』NHK出版、2016年8月、317ページ。
『宗教ってなんだろう』平凡社、2017年2月、224ページ。
2)共著
『中山みき・その生涯と思想――救いと解放の歩み』(池田士郎・関一敏と共著)明石書店、1998年4月、254ページ、(第2部第1章「疑いと信仰の間――中山みきの救けの信仰の起源」[再録]71-117ページ、第2章「中山みきと差別・解放――疑いと信仰の間・後記」118-134ページ、及び、鼎談「中山みきの軌跡」185-247ページ、を担当)
『はじめて学ぶ宗教──自分で考えたい人のために』有斐閣、2011年(岡田典夫、小澤浩、櫻井義秀、中村圭志と共著)、第1章「宗教と暴力──苦難・救済・非暴力」20-67ページ、執筆。序章「「宗教」とは何かを考える」1-19ページは中村圭志と共著)。
『低線量被曝のモラル』(一ノ瀬正樹・伊東乾・影浦峡・児玉龍彦・中川惠一と共著)河出書房新社、2012年2月、351ページ
『科学・技術の危機と再生のための対話』(池内了氏との対談)合同出版、2015年10月、295ページ
『愛国と信仰の構造–全体主義はよみがえるのか』(中島岳志氏との対談)集英社、2016年2月
『人類の衝突–思想、宗教、精神文化からみる人類社会の展望』(橋爪大三郎氏との対談)サイゾー、2016年9月
『近代天皇論–「神聖」か、「象徴」か』(片山杜秀氏との対談)集英社、2−17年1月
(B)2015年後の論文
「死生観の近世と近代」『シリーズ日本人と宗教――近世から近代へ』(高埜利彦・林淳・若尾政希と共編)「第3巻 生と死」春秋社、2015年1月、3-24ページ
「科学・社会・倫理を関連づけて捉えること–加藤尚武氏「臨床と予防–放射線障害の認識論」に応答する」『死生学・応用倫理研究』第20号、2015年3月、178−190ページ
「放射線の健康問題の生命倫理的な次元とその討議」同前、155−156ページ
「[コメント]災害の記憶を伝える文化装置 保立道久氏、グレゴリー・ボサール氏へのコメント」同前、52−57ページ
「集団的自衛権と宗教界の反応」『宗教と現代がわかる本 2015』平凡社、2015年3月、168−173ページ
「現代科学技術の倫理的批判と超越性–唐木順三と武谷三男の論争の意義」金承哲・T.J.ヘイスティングス・粟津賢太・永岡崇・日沖直子・長澤志保・村山由美編『論集 近代日本における宗教と科学の交錯』南山宗教文化研究所、2015年5月、198−620ページ
「他者との関わり–法華=日蓮系新宗教における他者と公共性」上杉清文・末木文美士編『シリーズ日蓮5 現代世界と日蓮』春秋社、2015年5月、239-262ページ
「天皇崇敬・慈恵・聖徳–明治後期の「救済」の実践と言説」『歴史学研究』932号、2015年6月、26−37ページ
「原発の是非の倫理的問いと宗教界の声–仏教は原発に旗に生命を出すべきか?」小林正弥監修・藤丸智雄編『本願寺白熱教室–お坊さんは社会で何をするのか』法蔵館、2015年6月、115−130ページ
「宗教者と被災者–寄り添い型の支援活動の広がり」似田貝香門・吉原直樹編『震災と市民2 支援とケア』東京大学出版会、2015年8月、149−174ページ
「科学技術の破局的展開に抗するユダヤ思想–アウシュヴィッツ以後の『ユダヤ的なるもの』コメント」『京都ユダヤ思想』第6号、2016年1月、101−10108ページ
「国家神道の形成と靖国神社・軍人勅諭–皇道思想と天皇崇敬の担い手としての軍隊」、明治維新史学会編(高木博志・谷川穣担当編集)『講座 明治維新11 明治維新と宗教・文化』有志舎、2016年3月、129−159ページ
「福島原発災害への仏教の関わり–公共的な機能の再発見の試み」、磯前順一・川村覚文編『他者論的転回–宗教と公共空間』ナカニシヤ出版、2016年3月、259−289ページ
“Questions Raised by the Nuclear Power Accident of March 11, 2011”, Journal of Cultural Interaction in East Asia, Vol.7, March 2016, pp.35-45
「死生観と持続可能性--現代人の探求と社会的応答の可能性」棚澤能生編『持続可能社会への転換と法・法律学』早稲田大学非核法学研究所、2016年3月、17−41ページ。
「原発被災者への支援-―被災地の宗教者を中心に」宗教者災害支援連絡会編(蓑輪顕量・稲場圭信・黒崎浩行・葛西賢太編『災害支援ハンドブック―-宗教者の実践とその協働』春秋社、2016年6月、191−203ページ。
「宗教者と研究者の新たな連携―-東日本大震災支援活動が拓いた地平」宗教者災害支援連絡会編(蓑輪顕量・稲場圭信・黒崎浩行・葛西賢太編『災害支援ハンドブック―-宗教者の実践とその協働』春秋社、2016年6月、225−239ページ
「明治維新は世俗的変革か?--安丸良夫の国家神道論と宗教論の展開」『現代思想 臨時増刊号 安丸良夫--民衆思想とは何か』青土社、2016年9月号、250−261ページ。
「放射線被曝に関する「精神的影響」評価と科学者の立場性」『精神医療』84号、特集:「国家意志とメンタルヘルス」、批評社、2016年10月、51−57ページ。
「新宗教研究と近代性の理解–戦後の宗教社会学とその周辺」池岡義孝・西原和久編『戦後日本社会学のリアリティ』(シリーズ社会学のアクチュアリティ:批判と創造)東信堂、2016年10月、203−229ページ
「ケアの実践のための研究はなぜ容易でないのか?」『看護研究』49巻7号(特集:研究の意味 多領域との対話から)、2016年12月、547−551ページ
「神道と国体論・天皇崇敬」『現代思想 臨時増刊号:神道を考える』2017年1月、72−80ページ
「天皇の生前退位と象徴天皇制–「神聖な天皇」を尊ぶ立場」『現代の理論』2017年1月、30−38ページ
「近代仏教の構造を捉える―-葬祭仏教とその枠を超えるもの」『中外日報』2017年1月20日号
“Restoration of the Authoritarian State and Opposition by Religious Forces: Politics and Religion in Japan in the Early 21st Century,” Sophia Journal of Asian, African and Middle Eastern
“Religion and Publix Space in Contemporary Japan: Re-activation of the Civilization of the Axial Age and the Manifestation of State Shinto and Buddhism,” Christoph Bochinger and Joerg Ruepke, eds., Dynamics of Religion: Pat and Present, De Gruyter, 2017, pp.31-46
「神道政治連盟の目指すものとその歴史–戦後の国体論的な神道の流れ」塚田穂高編『徹底検証 日本の右傾化』筑摩書房、2017年3月、302−321ページ
「日の丸・君が代が規律づける身体と精神の自由–卒業式等で処分事件が続くのはなぜか?」『身体変容技法研究』第6号、2017年3月、32−40ページ
「近代宗教史のなかの内村鑑三–初期の著作の力とその源泉」『内村鑑三研究』第50号(2017年号)、2017年4月、3−22ページ
「原発事故の精神的影響と放射線の健康影響-―「過剰な放射線健康不安」を強調する見方の偏り」『学術の動向』第22巻第4号、2017年4月、50−55ページ。
「敗戦と天皇の聖性をめぐる政治-―「国体護持」と「国体のカルト」の制御」吉馴明子・伊藤彌彦・石井摩耶子編『現人神から大衆天皇制-―昭和の国体とキリスト教』刀水書房、2017年3月、29−52ページ
「存続した国家神道と教育勅語の廃止問題」『福音と世界』8月号、2017年8月、31−37ページ。
「被災者の被るストレスと「放射線健康不安」」『環境と公害』第47巻第1号、2017年7月、岩波書店、3−8ページ
「スピリチュアルケア―-その概念と歴史的展望」清水哲郎・会田薫子編『医療・介護のための死生学入門』東京大学出版会、2017年8月、227−258ページ
「ダークツーリズムと「人間の復興」–被災者の経験に学び、原発事故をともに記憶する」『臨床評価』第45巻第2号、2017年8月、403−412ページ
http://shimazono.spinavi.net/wp/?page_id=2
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