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Nắng thì cày ruộng, mưa thì đọc sách 晴耕雨讀

27/05/2016

Shirakawa Shizuka (1910-2006) : nhà Hán học trứ danh của Nhật Bản

Mình đọc Shirakawa một cách tò mò bắt đầu từ một thư viện cấp quận ở Đông Kinh. Ở đó, gần như có đủ các ấn phẩm của Shirakawa, mà, có ít gì đâu, tới cả trăm cuốn. Tò mò là vì, liếc thấy một anh chàng như nhân viên công sở tranh thủ vào đọc sách về Giáp Cốt Văn do Shirakawa viết ! Hơi khó hiểu với cảnh tượng đó.

Sở dĩ biết tiếng Shirakawa (chữ Hán là Bạch Xuyên), là bởi, hồi những năm đầu thập niên 1990 đã đọc những sách về Giáp Cốt Văn của nhóm Ngô Hạo Khôn - Phan Du (Trung Quốc), mà luôn thấy họ nhắc đến Bạch Xuyên ở Nhật Bản.

Bây giờ, đang viết về những nghiên cứu của ông.

Tạm thời lấy nguyên một ít tư liệu giới thiệu về Shirakawa từ nơi làm việc cũ của ông.

Tạm để nguyên văn.

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白川静 略年譜
上海博物館貴賓室にて小克鼎の解説をされる白川先生..(1998年8月)

1910(明治43)年4月・福井市に生まれる。
1917(大正6)年4月7歳・順化尋常小学校に入学。
1923(大正12)年3月13歳・順化尋常小学校を卒業。秋、姉の住む大阪に出る。
1924(大正13)年14歳・後に民政党の代議士となる広瀬徳蔵の事務所に住み込み夜学に通う。広瀬先生の蔵書のなかから[国訳漢文大成]に親しみ、楚辞や唐詩を暗誦、また[明星][スバル]の文学誌に触れる。また万葉調の歌人として知られる郷里の橘曙覧の影響で、[万葉集]のすばらしさを味読し、中国の[詩経]との比較研究を夢みる。
1927(昭和2)年17歳・健康を害し一時帰郷、郷里の先輩佐々木文苑先生より朱子の[詩集伝]を借りだし抄写する。
1930(昭和5)年3月20歳・大阪府私立京阪商業学校第二本科卒業。
1933(昭和8)年4月23歳・立命館大学専門部文学科国漢学科入学。終生の師である国文の小泉苳三先生、漢文の橋本循先生に出会う。この頃、呉大澂の[字説][説文古籀補]を手にし、古代文字学に興味を持つ。
1934(昭和9)年12月24歳・検定により文部省中等教育国語科免許を受く。
1935(昭和10)年11月25歳・立命館中学教諭となる。すでに読みはじめていた段玉裁[説文解字注]、王念孫[経義述聞]とともに、この頃、刊行された郭沫若[卜辞通纂][両周金文辞大系考釈]を索引を作りつつ読みすすむ。
1936(昭和11)年3月26歳・立命館大学専門部文学科国漢学科卒業。
1941(昭和16)年4月31歳・立命館大学法文学部漢文学科入学。この頃、[皇清経解]に収録する[詩経][書経]関係の考証文献を読み漁る。
1943(昭和18)年9月33歳・立命館大学法文学部漢文学科卒業。10月、立命館大学予科教授となる。
1944(昭和19)年4月34歳・立命館大学専門部教授となる。
1948(昭和23)年10月38歳・立命館大学文学部助教授となる。処女論文[卜辞の本質]を、続いて[訓詁に於ける思惟の形式について][殷の社会]をそれぞれ[立命館文学]に発表、学界にその足跡の第一歩をしるす。
1951(昭和26)年10月41歳・日本甲骨学会の結成に参加する。
1952(昭和27)年1月42歳・角田文衛、梅田忠良氏らと古代学協会を設立、機関誌[古代学]を発行する。
1954(昭和29)年3月44歳・立命館大学文学部教授となる。この前後より、台湾の専門を同じくする学者屈万里、董作賓、厳一萍、周法高、また中国の楊樹達、胡厚宣、容庚、楊寛氏らと文通、論文・資料の交換をする。
1955(昭和30)年4月45歳・大阪大学文学部講師となり(1962年3月に至る)、学部で中国文学史、大学院で甲骨金文学を講ず。併せて、樸社の例会で西周金文の解読と注釈、また[説文]の講義を行う。この年3月、[甲骨金文学論叢]初集、立命館文学部研究室より油印、以後十集に及ぶ。10月、名古屋大学文学部講師となる(同年後期)。
1960(昭和35)年6月50歳・[稿本詩経研究(通論篇・解釈篇)]2冊、立命館大学文学部研究室より油印。10月、「興の研究」([稿本詩経研究]別冊)、おなじく立命館大学文学部研究室より油印。
1962(昭和37)年3月52歳・橋本循、吉川幸次郎博士に勧められて、[興の研究]を京都大学に博士論文として提出、文学博士の学位を受く。この年8月より[金文通釈]を白鶴美術館の館誌に発表しはじめる。以後、1984年まで五十六輯を数える。
1967(昭和42)年7月57歳・文化庁重要文化財審査委員、臨時専門委員となる(1975年度に至る)。
1969(昭和44)年7月59歳・[説文新義]15巻、別巻1を樸社の社友であった小野楠雄氏(五典書院)の手で季刊にて刊行開始。1974年完結。
1970(昭和45)年4月60歳・還暦にしてはじめて、一般書[漢字](岩波新書)を書き下ろす。この年より以降、[詩経](中公新書)、[金文の世界](平凡社東洋文庫)、[孔子伝](中央公論社)など次々と一般読者のために書き下ろす。
1972(昭和47)年1月62歳・台湾の故宮博物院に樸社の諸氏と同行、5日間にわたって調査を行う。孔徳成に再会。
1976(昭和51)年3月66歳・定年により立命館大学教授の職を退く。4月、立命館大学文学部特別任用教授となる(1981年度に至る)。
1981(昭和56)年4月71歳・立命館大学名誉教授の称号を受く。
1983(昭和58)年1月73歳中國藝文研究會の顧問となり、機関誌[學林]を創刊する。
1984(昭和59)年8月74歳・[字統]を平凡社より刊行。11月、[字統]により毎日出版文化賞特別賞を受く。これより先、[字統][字訓][字通]の字書三部作を構想。
1991(平成3)年12月81歳・[字統][字訓]等の文字研究により菊池寛賞を受く。
1996(平成8)年2月86歳・京都府文化特別功労賞。10月、[字通]を平凡社より刊行。
1997(平成9)年1月87歳・五十年余にわたる壮大な構想力よりなる中国の古代文化研究及び古文字研究にたいして1996年度朝日賞を受く。4月、文字文化研究所所長、理事長となる。8月、中国瀋陽における文字文化共同研討会に出席、基調講演を行う。
1998(平成10)年7月88歳・[詩経雅頌](全2冊、東洋文庫)を刊行。90年の[詩経国風]とあわせて[詩経]の全訳注を完成。8月、上海・鄭州・洛陽・南陽行。甲骨・金文の資料を収集。

龍門石窟にて..(1998年8月)
(左から嘉瀬達男・芳村弘道・清水凱夫・白川先生・澁澤尚・阪谷昭弘。)

・11月、文化功労者として顕彰される。

文化功労者顕彰祝賀会(於京都ホテル)にて..(1999年1月7日)
1999(平成11)年3月
11月
89歳・文字文化研究所にて文字文化を論題に第一回講演開始。
・日本経済新聞に[私の履歴書]を一か月連載。
・同月、『白川静著作集』(全12巻)刊行開始。勲二等瑞宝章受賞。
2000(平成12)年4月
12月
90歳・鳩寿を記念して[回思九十年](平凡社)を刊行。
『白川静著作集』第12巻完結。
2001(平成13)年1月  91歳・井上靖文化賞受賞。
2002(平成14)年1月  92歳『白川静著作集』(別巻)刊行開始。
・福井県名誉県民賞受賞。
2003(平成15)年11月 93歳・京都市教育功労者として表彰される。 
2004(平成16)年11月94歳・文化勲章受章。 
2005(平成17)年3月
5月
10月
95歳・福井市名誉市民。
立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所名誉研究所長となる。
・京都市名誉市民。
2006(平成18)年10月96歳・逝去。 




文化功労者顕彰祝賀会にてつる夫人と..(1999年1月7日)
上海博物館貴賓室にて..(1998年8月)

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/cl/shirakwa/ryakureki.htm


白川靜博士著作目録
単 行 本
著   書
『甲骨金文学論叢初集』釈史・釈文 立命館大学中国文学研究室  1955-3
『同二集』作冊考・召方考・金文索引1 ― 官 制 ―  1955-5
『同三集』釈師・金文索引2 ― 人 名 ― 1955-8
『同四集』琱生銘文考釈・載書関係字説  1956-12
『同五集』殷代雄族考1・金文索引3 ― 地 名 ―  1957-12
『同六集』殷代雄族考2・3  1957-12
『同七集』殷代雄族考4・5(媚蠱関係字説)  1958-5
『同八集』殷代雄族考6・7(辠辜関係字説)  1958-8
『同九集』羌族考  1958-12
『同一〇集』安州六器通釈・釈南・蔑暦解  1962-6
『稿本詩経研究』(通論篇) 立命館大学中国文学研究室  1960-6
『同』(解釈篇)  1960-6
『同』別冊(『興の研究』)  1960-10
『金文通釈一輯』伝武王期銅器 白鶴美術館  1962-8
『同二輯』大保関係諸器  1962-11
『同三輯』周公伯禽関係諸器  1963-3
『同四輯』康侯関係諸器  1963-6
『同五輯』王・王姜関係諸器  1963-10
『同六輯』令・明保関係諸器  1964-4
『同七輯』三都関係諸器  1964-7
『同八輯』邶・鄘・衛・召公関係諸器  1964-11
『同九輯』休王・諸侯伯諸器  1965-3
『同一〇輯』康王期新出諸器  1965-6
『同一一輯』麦諸器  1965-10
『同一二輯』盂諸器  1965-12
『同一七輯』伯辟父・師雍父諸器  1967-3
『同一八輯』大室諸器・昭王諸器  1967-6
『同一九輯』師遽・丼伯諸器  1967-9
『同二〇輯』丼伯諸器・方座〓諸器  1967-12
『同二一輯』免・司馬丼伯諸器  1968-3
『同二二輯』懿王諸器  1968-6
『同二三輯』懿孝諸器  1968-9
『同二四輯』頌・散諸器  1968-12
『同二五輯、二六輯』夷諸器1, 2  1969-3 , 6
『同二七輯』十月之交関係諸器  1969-9
『同二八輯』克氏諸器  1969-12
『同二九輯』厲王諸器  1970-3
『同三〇輯、三一輯』共和諸器1, 2  1970-6 , 9
『同三二輯』宣王諸器  1970-12
『同三三輯』宣幽諸器  1971-3
『同三四輯、三五輯、三六輯』西北諸器1, 2, 3  1971-6 , 9 , 12
『同三七輯』中土諸器  1972-6
『同三八輯、三九輯』東土諸器  1972-9 , 1973-4
『同四〇輯』南土諸器  1973-6
『同四一輯、四二輯、四三輯、四四輯、四五輯』通論篇1, 2, 3, 4, 5  1974-6 , 7 / 1975-2 , 3 , 4
『同四六輯、四七輯』西周史略1, 2  1977-4 , 10
『同四八輯、四九輯、五〇輯』補釈篇1, 2, 3  1978-9 , 12 / 1979-5
『同五一輯、五二輯』補記篇1, 2  1979-12 , 1980-3
『同五三輯、五四輯』本文篇(上)(下)  1981-3 ,1982-2
『同五五輯、五六輯』索引篇1, 2  1983-3 , 1984-3
『殷・甲骨文集』(書迹名品叢刊3集) 二玄社  1963-8
『金文集1殷周』(書迹名品叢刊3集) 二玄社  1964-2
『金文集2西周後期』(書迹名品叢刊3集) 二玄社  1964-2
『金文集3西周後期』(書迹名品叢刊3集) 二玄社  1964-5
『金文集4列国』 (書迹名品叢刊3集) 二玄社  1964-6
『説文新義』巻一~巻一五、別巻 五典書院  1969-7~1974-6
『漢字―生い立ちとその背景』 岩波新書  1970-4
『詩経―中国の古代歌謡』 中公新書  1970-6
『金文の世界―殷周社会史』 平凡社(東洋文庫)  1971-4
『甲骨文の世界―古代殷王朝の構造』 平凡社(東洋文庫)  1972-2
『孔子伝』 中公叢書  1972-11(1992-2、中公文庫)(所収:「孔子の生涯」 1971-10、「儒の起源」1972-1)
『甲骨金文学論集』(『甲骨金文学論叢』の一部複印) 朋友書店  1973-12(釈史・釈文・作冊考・召方考・釈師・戴書関係字説・殷代雄族考・媚蠱関係字説・辠辜関係字説・先族考)
『中国の神話』 中央公論社  1975-9(1980-2、中公文庫)
『漢字の世界―中国文化の原点1、2』 平凡杜(東洋文庫)  1976-1 , 3
『中国の古代文学1 ― 神話から楚辞へ』 中央公論社  1976-4(1980-8、中公文庫)
『中国の古代文学2 ― 史記から陶淵明へ』 中央公論杜  1976-11(1981-1、中公文庫)
『漢字百話』(中公新書)  1978-4
『初期万葉論』 中央公論社  1979-4
『中国古代の文化』(講談杜学術文庫)  1979-10
『中国古代の民俗』(講談杜学術文庫)  1980-5
『詩経研究』通論篇(朋友学術叢書) 朋友書店  1981-10
『字統』 平凡社  1984-8
『文字逍遥』 平凡杜  1987-4
『字訓』 平凡社  1987-5
『文字遊心』 平凡社 1990-4
『詩経国風』 平凡社(東洋文庫) 1990-5
『後期万葉論』 中央公論社  1995-3
『字通』 平凡社  1996-10
『詩経雅頌』1、2 平凡社(東洋文庫) 1998-6 , 7
『白川静著作集』全12巻 平凡社  1999~2000
『白川静著作集』全40巻 平凡社  2002より刊行中

『回思九十年』 平凡社 2000-4
『字書を作る』 平凡社 2002-1
『文字講話Ⅰ』 平凡社 2002-9
『文字講話Ⅱ』 平凡社 2003-2
『文字講話Ⅲ』 平凡社 2003-12
『桂東雑記Ⅰ』 平凡社 2003-6
『桂東雑記Ⅱ』 平凡社 2004-4
『常用字解』 平凡社 2003-12
華訳
『詩経研究』杜正勝訳(『詩経』1972-2の訳) 幼獅月刊叢書  1974-9
『甲骨文的世界』(蔡哲茂他訳) 巨流図書公司(『甲骨文の世界』1972-2の訳)  1977-9
『中国古代文化』加地伸行・范月嬌共訳 文津出版社  1983-5
共   著
『書道全集』第一巻 中国 1殷・周・秦(担当:図版解説、釈文一, 二, 四, 七)  1954-9
『古代殷帝国』(第四章ト辞の世界)みすず書房  1957-12
『中国の美術』2 書蹟 中田勇次郎編  淡交社  1982-5
『東方学  回想8』(「学問の思い出-白川静博士を囲んで-」)
                       東方学会編 刀水書房 2000-10
『自分と出会う75章』(「私は真幻の間にいる」)
          朝日新聞「こころ」のページ編 朝日新聞社 2001-4
『知の愉しみ 知の力』(渡辺昇一氏との対談) 致知出版社 2001-10
編   著
『高等漢文』(教科書)三冊 別記二巻  1953
監修 白鶴英華『白鶴美術館名品図録』 白鶴美術館  1978-3
監修『漢字類編』 小林博編  木耳社  1982-11
その他
別冊太陽 『白川静の世界 漢字のものがたり』 平凡社 2001-12
別冊太陽 『呪の思想 神と人との間 白川静+梅原猛対談』 平凡社 2002-9

「京都の支那学と私」 『學林』第33號 2001-3
「読書の思い出」 『學林』第34號 2002-1
「『學林』二十年に寄せる」 『學林』第38號 2003-12
 
論   考
1940年代
卜辞の本質「立命館文学」62  1948-1
訓詁における思惟の形式について「立命館文学」六四  1948-3
殷の社会「立命館文学」66  1948-9
「詩」の興について「説林」一  1949-4
商頌五篇について「説林」三  1949-6
殷の神話「説林」四  1949-7
殷の世系 ― いわゆる六示について「説林」五  1949-8
卜辞関係文献年表(一)(二)「説林」六、七  1949-9 , 10
帝の観念「立命館文学」70・71・72  1949-10
1950年代
殷の族形態 ― いわゆる亜字形款識について「説林」II(一)  1950-1
卜辞関係文献年表(三)「説林」II(三)  1950-3
衣祠考「説林」II(四)  1950-4
詩経学の成立(一)~(六)「説林」II(九)~(一二)、III(一)(二)  1950-9~1951-2
殷の基礎社会「立命館文学」立命館創立五〇周年記念論文集 文学篇  1951-2
大学原始「説林」III(七)  1951-7
尚書洛誥解「説林」III(八)  1951-8
尚書大誥篇について「説林」III(九)  1951-9
周初の対殷政策と段の余裔 ― 特に召公の問題を中心として(上)「立命館文学」79  1951-9
令彝について ― 周公子明保と康宮「説林」III(一二)  1951-12
周初における殷人の活動 ― 主として軍事関係の考察「古代学」I(一)  1952-1
周初の対殷政策と殷の余裔 ― 特に召公の問題を中心として(下)「立命館文学」82  1952-3
西周期における東南地域の政治と文学 ― 周南・召南とその背景「立命館文学」96  1953-5
胡厚宣氏の商史研究 ― 甲骨学商史論叢(上)(下)「立命館文学」102、103  1953-11 , 12
殷代の殉葬と奴隷制「立命館大学人文科学研究所紀要」二  1954-1
殷の王族と政治の形態「古代学」III(一)  1954-3
屈原の立場(上)(下)「立命館文学」109、110  1954-6 , 7
釈南 ― 殷と南方文化、その1「甲骨学」三  1954-10
小臣考 ― 殷代奴隷制社会説の一問題(上)(下)「立命館文学」116、117  1955-1 , 2
楚辞叢説(上)(下)「立命館文学」120、121  1955-5 , 6
蔑暦解「甲骨学」四五  1956-10
詩経に見える農事詩(上)(下)「立命館文学」138、139  1956-11 , 12
文字と古代文化(1)(2)「古代文化」I(三)(四)  1957-10 , 12
楚辞天問小箋「立命館文学」150・151  1957-11~12
文字と古代文化(3)~(10)「古代文化」I(五)、II(一)、(四)、(六)、(八)、(九)、(一一)、(一二)  1957-12~1958-12
古代中国の共同体「古代学」講座 共同体の研究(上)(古代学協会編)理想社  1958-12
羌鍾銘文考釈(上)(下)「立命館文学」164、165  1959-1 , 2
1960年代
周頌の成立「立命館文学」180  1960-6
詩経蠡説『慶祝董作賓先生六十五歳論文集』上冊(中央研究院歴史語言研究所集刊外篇)  1960-7
詩経『世界の歴史3 束アジア文明の形成』筑摩書房編集部編 筑摩書房  1960-11
興的発想の起源とその展開(上)(下)「立命館文学」187、188  1961-1 , 2
甲骨文よりみた殷代社会「歴史教育」九(四)  1961-4
甲骨文の解読(古代史講座第1 古代史学序説)学生社  1961-10
大豊の時代「立命館文学」200  1962-2
金文賸義(1)(2)「立命館文学」201、204  1962-3 , 6
西周彝器断代小記『紀念董作賓・董阿龢両先生論文集』上冊(中央研究院歴史語言研究所集刊三六)  1965-12
西周後期の金文と詩篇「立命館文学」264  1967-6
漢字とカナ『日本と東洋文化』新潮杜  1969-7
資料としての西周金文「歴史教育」一八(七)  1969-9
1970年代
文字学の方法「文学」三八(九)岩波書店  1970-5
万葉集と中国思想『万葉集講座』二巻 有精堂  1973-5
古代歌謡の世界 ― 「詩経」と「万葉集」『講座比較文学』第一巻 東京大学出版会  1973-6
漢字と文化「アジア文化」一一(二)  1974-2
金文学前史(上)(下)「立命館文学」346・347、348・349  1974-5 , 7
金文学の方法(上)(中)(下)「立命館文学」355~357、358・359、360・361  1975-3 , 5 , 7
神話と経典『中国哲学史の展望と模索 木村英一博士頌寿記念論集』 創文社  1976-11
西周史の諸問題(上)(下)「立命館文学」377・378、382・383  1976-12 / 1977-5
古代文字と生命の思想「日本経絡学会誌」三五  1977-12
詩経『新訂版 世界の歴史第三 東アジアの丈明の形成』筑摩書房  1978-3
新出青銅器銘文考釈(上)(中)(下)「立命館文学」394・395、396・397、398・399 1978-5, 7, 9
1980年代
両周青銅器釈文(上)(中)「立命館文学」412~414、415~417  1979-12 / 1980-2
淮戎と氏諸器「立命館文学」418~421  1980-6
両周青銅器釈文(下)「立命館文学」422・423  1980-9
呂刑系統書篇について『池田末利博士古稀記念 東洋学論文集』柳盛社  1980-9
再論蔑暦『記念李済屈万里両先生論文集』(中央研究院歴史語言研究所集刊五一 1980-10
周公『人物 中国の歴史』一 集英社  1981-9
金文図象の体系『中田勇次郎先生頌寿記念論集東洋芸林論叢』 平凡社  1985-5
古代文字学之方法 台湾中央研究院  1986-10
1990年代
西周断代和年暦譜『武王克殷之年研究』 北京師範大学国学研究所  1997-11
華訳
対於訓詁的思惟形式(徐復観訳)「民主評論」9(7)(「訓詁における思惟の形式について」1948-3の訳)  1958-4
懐念董作賓教授(梁英茂訳)(「董作賓教授を懐う」1964-10の訳)「中国文字」一八  1965-12
作冊考(鄭清茂訳)(甲骨金文学論叢二 1955-5の訳)「中国文学」三九、四〇  1971-3
金文学史1 許礼平訳 中国語文研究(香港)第三期 1981
淮夷与氏諸器・月令的形式・採桑女(上二篇、『中国古代の民俗』所収)范月嬌訳『日本漢字論文集』一 文史哲出版社(台湾)  1985-1
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/cl/shirakwa/mokuroku.htm

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