Home

Home
Nắng thì cày ruộng, mưa thì đọc sách 晴耕雨讀

29/06/2022

Thương thuyền Nam Tống ở thế kỉ 12 chìm dưới đại dương - con đường tơ lụa trên biển

Lúc bấy giờ nhà Tống bị mất quyền kiểm soát Hoa Bắc, nên phải lùi về phương Nam. Quen gọi là Nam Tống.

Nhà Nam Tống đóng đô ở Lâm An (tức khu vực Hàng Châu ngày nay). 

Để thay thế con đường tơ lụa trên lục địa trước đó (kết nối Trung Á và châu Âu) đã bị các thế lực ở phía Bắc gây khó dễ, nhà Nam Tống quyết định mở con đường tơ lụa trên đại dương.

Nhà Nam Tống phát triển nghề đóng tàu biển và nghề buôn trên biến.

Có một con tàu buôn vừa xuất bến Nam Tống để chuẩn bị ra khơi thì bị đắm. Cả con tàu chất đầy hàng hóa đã chìm toàn bộ xuống biển.

Đến cuối thể kỉ 20, người ta mới phát hiện ra những con tàu này. Rồi đến tận đầu thế kỉ 21, người ta mới trục vớt thành công con tàu lên. Nhiều kho báu chứa trong tàu mới được khám phá. 

Chính xác về niên đại thì là: con tàu được phát hiện một cách vô tình vào năm 1987 (khi chiến tranh lạnh sắp kết thúc, Trung Quốc bắt đầu mở cửa), đến năm 2007 thì con tàu mới được vớt lên (vớt cả con tàu bằng kĩ thuật trục vớt đặc biệt). Bảo tàng con đường tơ lụa trên biển đã được thành lập từ hạt nhân là con tàu này.

Ý tưởng "một con đường một vành đai" hiện nay có được gợi ý từ công việc phát hiện và trục vớt con tàu. 

Đại khái vậy.

Bài đầu tiên lấy về từ trang National Geographic Society.

Cập nhật dần.

Tháng 6 năm 2022,

Giao Blog





















---

800年前に沈んだ南宋の貿易船「南海1号」、貴重な積み荷が続々

金細工、貨幣、陶磁器など、最大8万点を船ごと引き上げ調査中


海底に眠る引き揚げ前の「南海1号」。(MARITIME SILK ROAD MUSEUM GUANGDONG)
海底に眠る引き揚げ前の「南海1号」。(MARITIME SILK ROAD MUSEUM GUANGDONG)

 1987年、英国の調査チームが中国側の当局と協力して、南シナ海で18世紀に沈没したオランダ東インド会社の船を探していた。ところが、チームが発見したのは、香港と広東省海陵島の間の海底に眠る全長約30メートルの「ジャンク船(中国の帆船)」で、12世紀の南宋時代の貿易船だった。

 1127年、華北の支配権を失った宋は南に退き、皇帝は臨安(現在の杭州)に新しく首都を定めて南宋を興した。南宋は安定し、隆盛を極めた。

[画像のクリックで拡大表示]

 だが、北方の敵対勢力によって、南宋は中央アジアやヨーロッパにつながる交易路であるシルクロードの通行を阻まれた。シルクロードは、それまで数世紀の間、宋の経済の基盤だった。そこで南宋は、南シナ海の海上交通に活路を見いだし、造船業を発展させ、海上貿易で富を築いた。

 12世紀後半に、商品を積んで出港したばかりのその貿易船が沈没した。800年後に発見されたこの船からは、中国が強大な海運国を目指した時代をうかがい知ることができる。

マカオに寄港中の南海1号のレプリカ船。2014年に建造された。華北から撤退後に再興された南宋(1127年~1279年)は、急速に商業海運を発展させた。主に、船体が長方形で船尾のラダーで舵取りをするジャンク船が使用された。南海1号の構造も、この時代のジャンク船の典型的な作りと合致している。(MARITIME SILK ROAD MUSEUM OF GUANGDONG)
マカオに寄港中の南海1号のレプリカ船。2014年に建造された。華北から撤退後に再興された南宋(1127年~1279年)は、急速に商業海運を発展させた。主に、船体が長方形で船尾のラダーで舵取りをするジャンク船が使用された。南海1号の構造も、この時代のジャンク船の典型的な作りと合致している。(MARITIME SILK ROAD MUSEUM OF GUANGDONG)

沈没船を「箱詰め」にしてまるごと引き揚げ

 潜水調査を行ったところ、この船は出港後まもなく沈没したに違いないと考えられた。大量の積み荷が船倉にそのまま残っていたからだ。この沈没船は、この種の船としては南海(南シナ海の中国表記)で初めて発見されたので、「南海1号」と名づけられた。

 木造の船体と積み荷は、約1.8メートルの厚い泥の層に埋もれていた。積み荷には、磁器、宋時代の貨幣、銀の延べ棒などが含まれていた。船にはさらに多くの積み荷が残っていたが、泥で濁った水中で沈没船を調査することはほぼ不可能だった。資金と適切な技術がないまま、南海1号はその後の20年間、海底に眠り続けた。その間、中国海軍が現場を監視し、この水域には第二次世界大戦の不発弾が残っているというデマを流して、漁船を遠ざけた。

 2002年に南海1号の引き揚げ計画が策定され、5年後に実行された。まず、底の部分が開いた巨大なスチール製ケーソン(水中作業用の大型コンテナ)を、海底の沈没船にかぶせるように降ろした。この作業では、沈没から数百年が経過した船に損傷を与えないように、海底に設置されたセンサーでケーソンの降下位置を注意深く監視した。

 次に、ケーソンの上にコンクリート製の重いブロックを載せ、ケーソンが船底より下に届くように泥の中に押しこんだ。その後、ダイバーが頑丈な梁(はり)を何本もケーソンの側面の穴に通して、ケーソンの底面を形成した。コンクリート製ブロックを撤去後、南海1号と周囲の堆積物が格納された巨大なケーソンは、ゆっくりと海面に引き揚げられた。

ケーソン(水中作業用の大型コンテナ)を沈没地点に降ろす。(MARITIME SILK ROAD MUSEUM GUANGDONG)
ケーソン(水中作業用の大型コンテナ)を沈没地点に降ろす。(MARITIME SILK ROAD MUSEUM GUANGDONG)
ケーソンの上部にコンクリート製ブロックを載せて、海底にケーソンを押しこむ。(MARITIME SILK ROAD MUSEUM GUANGDONG)
ケーソンの上部にコンクリート製ブロックを載せて、海底にケーソンを押しこむ。(MARITIME SILK ROAD MUSEUM GUANGDONG)
沈没船と周囲の堆積物を安全に格納する。(MARITIME SILK ROAD MUSEUM GUANGDONG)
沈没船と周囲の堆積物を安全に格納する。(MARITIME SILK ROAD MUSEUM GUANGDONG)
半潜水型の船舶にケーソンを載せて引き揚げる。(MARITIME SILK ROAD MUSEUM GUANGDONG)
半潜水型の船舶にケーソンを載せて引き揚げる。(MARITIME SILK ROAD MUSEUM GUANGDONG)

 2007年12月、南海1号とその貴重な積み荷(総重量1万5600トン)は、広東省海陵島に建設された専用の「広東海のシルクロード博物館」に運ばれた。ここで南海1号は、特製の海水タンクに収められた。

 積み荷の大部分は、まだ船倉に残されたままだった。劣化を防ぐため、船と積み荷は泥と海水で覆われ、タンクの水温は船が発見された場所と同じ温度に保たれた。こうして注意深くモニターされた環境で、考古学者たちは南海1号の調査を続けてきた。

次ページ:「海のシルクロード」へ

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/061700273/


800年前に沈んだ南宋の貿易船「南海1号」、貴重な積み荷が続々

金細工、貨幣、陶磁器など、最大8万点を船ごと引き上げ調査中

2022.06.25


「海のシルクロード」へ

 長い年月を費やして、南海1号から100点の金細工、たくさんの硬貨など数万点が回収されたが、6万~8万点にのぼる積み荷の多くは南宋の陶磁器だった。

 南宋が頼みとした海上交通路は、「海のシルクロード」として歴史学者に知られている。西洋でローマ帝国が台頭したほぼ同じ時期に誕生した海のシルクロードは、インドネシアや香料諸島(モルッカ諸島)、インド、アラブ世界、地中海の古代ギリシャ・ローマ世界を結んだ。

 南海1号は、珠江デルタにある広州(広東)の港を出港したとみられている。広州は、泉州、厦門(アモイ)と並ぶ中国南部の主要港のひとつだった。

 南海1号の発見で、12世紀の船隊が輸送していた物資の詳細が明らかになった。大量の陶磁器には、宋時代と深い関わりがある建窯(けんよう)の黒釉(こくゆう)の器や、ハスなどの花の模様が特徴的な草色の竜泉青磁なども含まれている。青磁の器は東南アジア各地で発見されており、南海1号もこの地域に向かっていたと考えられる。

1180年代に出港後まもなく沈没した南海1号には、最大8万点もの大量の商品が積まれていた。その多くは陶磁器で、安価な普及品から最高級品まで多岐にわたる。写真は、福建省の建窯(けんよう)で作られた黒釉(こくゆう)の器。(MARITIME SILK ROAD MUSEUM GUANGDONG)
1180年代に出港後まもなく沈没した南海1号には、最大8万点もの大量の商品が積まれていた。その多くは陶磁器で、安価な普及品から最高級品まで多岐にわたる。写真は、福建省の建窯(けんよう)で作られた黒釉(こくゆう)の器。(MARITIME SILK ROAD MUSEUM GUANGDONG)

 東南アジアでは、褐釉という茶色の釉薬を用いた中国の陶磁器の需要もあったことが考古学上の発見でわかっているが、こうした磁竈窯(じそうよう)の器も船倉から見つかった。だが、南海1号の積み荷がすべて高級品だったわけではないようだ。積み荷のひとつである福建省産の白磁は、大量に生産され、手頃な価格で売られていた。

 積み荷からは、およそ1万枚の硬貨も見つかった。その多くには、南宋の2代皇帝である孝宗(こうそう)の時代を示す刻印があった。孝宗は、1160年代から1180年代末まで在位し、海洋貿易を強力に推進した皇帝だ。

 2018年の調査では、航海時期の特定につながる発見があった。積み荷の陶製のつぼの底に、1183年の製作を意味する墨書が見つかったので、南海1号の出港は1180年代初期以降と判断された。

ギャラリー:800年前に沈んだ南宋の貿易船と積み荷 写真と画像12点(写真クリックでギャラリーページへ)
ギャラリー:800年前に沈んだ南宋の貿易船と積み荷 写真と画像12点(写真クリックでギャラリーページへ)
積み荷の多くが残る南海1号は、中国の広東省海陵島にある「広東海のシルクロード博物館」の巨大なタンク内で展示されている。劣化を防ぐため、船体と積み荷は、ある程度の海水と泥に浸して保存されている。(ALAMY/ACI)

「一帯一路」構想の象徴的存在

 南海1号は、歴史的に重要であると同時に、中国政府にとっては、自国の海運力と貿易力の壮大な歴史を顕示する手段でもあった。南海1号が発見された1987年は冷戦終結の時期で、中国は世界の舞台で新たな役割を発揮し始めていた。南海1号が引き揚げられた2007年には、世界経済における中国の重要性は揺るぎないものになっていた。

 2013年に中国が打ち出した「一帯一路」構想は、中国が十数カ国のインフラ整備に投資する大がかりな計画で、陸のシルクロードと海のシルクロードの現代版を念頭に置いている。中国の多くの国民にとって南海1号は、昔の中国が展開した貿易の繁栄ぶりと今後の野心的な計画を映し出す存在といえるだろう。

【この記事の写真をもっと見る】ギャラリー:800年前に沈んだ南宋の貿易船と積み荷 写真と画像あと4点

文=KEXIN ZHONG/訳=稲永浩子

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/061700273/?P=2

..




中国新聞社    2022年1月27日(木) 20時50分

海底や湖底に眠っていた文化財を引き上げて研究する水中考古学という学問分野がある。中国での水中考古学の最大級の成果とされるのが、1987年に発見されて約20年後の2007年に船体の引き上げに成功した宋代の沈没船「南海1号」だ。その全過程を知る広東省文物考古研究員の崔勇副院長がこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、「南海1号」にまつわるさまざまなエピソードを披露した。以下は、崔副院長の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

その他の写真

■「海の盗掘者」にしてやられたことが、水中考古学に取り組むきっかけに

かつて、欧米人の「海の盗掘者」が南シナ海海域で沈没船から清代康熙年間(1661-1722年)の陶磁器を多く引き上げ、オークションにかけて飛び切りの高値で売りさばく事件があった。このことが中国の考古学界や政府を刺激した。

1987年には中国国家博物館水中考古学研究センターが発足した。ちょうどその時期に、英国の海洋探査・サルベージ会社と当時の広州サルベージ局が、広東省陽江市沖合いの南シナ海で沈船を発見した。その際に引き上げられた247点の中には、金のネックレスや銀塊もあった。

英国の会社は、その海域で沈没した東インド会社所属の商船を探していたのだが、海底から引き上げられたものはその商船の積み荷リストとは違っていた。そこで中国側は英国側に引き上げを中止させた。発見された大型商船は「南海1号」と名付けられた。


広東海のシルクロード博物館

■まずは日本に教えてもらった、次に小さなプロジェクトで実力錬成

「南海1号」を調査し引き上げるために、中国水中考古学界は多くを「学習」せねばならなかった。まず若手研究者をオランダと日本に派遣して水中考古学を学ばせた。日本からは専門家を招いて講義などをしていただいた。

1989年には国家文物局とオーストラリアのアデレード大学が共同で、中国初の水中考古学訓練班を組織した。全国から11人が選ばれて訓練を受けたが、私もその一人だ。

1989年11月には日本と共同調査隊を結成して南海1号の初の全面調査を行った。しかしその結果、「南海1号」の引き上げなどの条件はまだ整っていないと結論づけざるをえなかった。もっと小さなプロジェクトから始めるべきとの判断だった。

その後、遼寧省葫蘆島市の沖合いで元代(1279-1368年)の沈船が見つかったり、西沙諸島でも沈船が見つかった。それらの調査研究に取り組むことで、中国の水中考古学の実力は次第に向上していった。

■困難を乗り越えて船体の引き上げに成功、発見した積み荷は18万点以上

改めて「南海1号」の引き上げに着手するまで、学習や経験のための約10年を費やしたことになる。調査再開の手始めに、まずGPSを利用して正確な位置を特定した。そして4年をかけて、調査と試掘を繰り返した。その結果、船全体の保存状態は良好で、積み荷も多いことが分かった。

しかし一方で、船体の上に泥が分厚く堆積していることが分かった。海底で活動すれば周囲の水はひどく濁る。水中考古学の調査にとってかなり劣悪な環境だ。

船の積み荷も文化財だが、それらを引き上げるだけではだめだ。それでは水中考古学の進歩の芽を摘んでしまう。南海1号が泥に半ば埋まった形で横たわる海底は、水深約25メートルだった。最終的に広州サルベージ局の技術者の呉建成氏が、ケーソンという巨大な箱を使って沈船全体を引き上げる方法を考案した。これが突破口だった。

しかし実際には大きな困難が伴った。ケーソンは長さが33メートル、幅は14メートルもあり、500トン以上の重量だ。正確な位置に沈めるのは実に難しかった。いったん水中に沈めたら、位置の調整はほとんど困難だ。とにかく正確な位置におろさねばならない。しかし最後には、一気に成功させることができた。

「南海1号」の船体引き揚げが行われたのは2007年だった。同時に、広東省陽江市内では広東海のシルクロード博物館が建設された。「南海1号」は同博物館の水晶宮と呼ばれる施設に安置された。


広東海のシルクロード博物館

「南海1号」については3Dレーザーなど最新の技術を使って、大きさについてはミリ単位まで計測された。水中から発見された文化財は18万点を超えた。酒が入った大量の壺、アヒルの卵の塩漬け、羊の頭、ナッツ類、ヤマモモ、穀物類も見つかっている。これらは、水中でないと残らないものだ。

また、船室にあった泥からは、絹たんぱくが検出された。「南海1号」は量としてはあまり多くなかったかもしれないが、絹製品も積んでいたと考えられる。


広東海のシルクロード博物館

さまざまな情報を総合して、「南海1号」が沈没したのは1183年前後と特定できた。考古学においては、文化財の年代を判断するには他の文化財との比較に頼る場合が多いが、正確な年代の判別が極めて難しい場合が多い。「南海1号」の積み荷は、他の出土品などにとって、年代判断の基準を与えてくれたことになる。(構成 / 如月隼人

https://www.recordchina.co.jp/b888501-s41-c30-d0198.html

..



2020-07-01 11:30    文章来源: 海陵岛大角湾海上丝路旅游区


新八景之二:丝路船韵(广东海上丝绸之路博物馆景区)

 【七律】


千年南宋商船馆,考古珍藏尽大观。

瓷器鎏金洋味足,远航技术国中坚。

古樟秀色迎宾客,栈道风光沁大千。

唤友呼朋何处去,东方揽胜望风帆。 


简介:该景区坐落于海陵岛十里银滩西侧,景区内有广东海上丝绸之路博物馆、仿宋古船、千年古樟、栈道、东方览胜等景观。800多年前的南宋古沉船“南海Ⅰ号”于2007年12月被整体打捞上岸,进入广东海上丝绸之路博物馆的“水晶宫”里,是目前世界上发现的已知年代较早、船体最大、文物总量最多(6-8万件)、保存最完整的古代远洋贸易商船,为揭秘和复原宋代历史和古代海上丝绸之路,提供了难得的史料。广东海上丝绸之路博物馆主馆占地约13万平方米,建筑面积近2万平方米,是以“南海Ⅰ号”宋代古沉船发掘、保护、展示与研究为主题,展现水下考古现场发掘动态演示过程的世界首个水下考古专题博物馆,是国家二级博物馆、国家AAAA级景区,馆内包括八个专题展览区:南海Ⅰ号船体构件及船员生活用品展区、出水贸易品展区、整体打捞及试挖掘专题展区、出水文物保护修复成果展区、海上贸易展区、海上丝路与宗教文化传播展区、郑和下西洋展区、珍品文物展区。

http://mlhld.com/content/?422.html

..



Không có nhận xét nào:

Đăng nhận xét

Khi sử dụng tiếng Việt, bạn cần viết tiếng Việt có dấu, ngôn từ dung dị mà lại không dung tục. Có thể đồng ý hay không đồng ý, nhưng hãy đưa chứng lí và cảm tưởng thực sự của bạn.

LƯU Ý: Blog đặt ở chế độ mở, không kiểm duyệt bình luận. Nếu nhỡ tay, cũng có thể tự xóa để viết lại. Nhưng những bình luận cảm tính, lạc đề, trái thuần phong mĩ tục, thì sẽ bị loại khỏi blog và ghi nhớ spam ở cuối trang.

Ghi chú (tháng 11/2016): Từ tháng 6 đến tháng 11/2016, hàng ngày có rất nhiều comment rác quảng cáo (bán hàng, rao vặt). Nên từ ngày 09/11/2016, có lúc blog sẽ đặt chế độ kiểm duyệt, để tự động loại bỏ rác.