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Nắng thì cày ruộng, mưa thì đọc sách 晴耕雨讀

02/01/2018

Ni sư 95 tuổi ra tiểu thuyết mới "Vận mệnh"

Đó là ni sư Seitouchi, sinh năm 1922, đã sống qua 3 đời vua: Đại Chính, Chiêu Hòa, Bình Thành.

Bà nổi danh là một nhà tiểu thuyết lớn của Nhật Bản đương đại. Đã viết liên tục trong 70 năm. Khi đang viết dở cuốn tiểu thuyết Vận mệnh thì ni sư bị ngã bệnh. Gần đây, đã hồi phục, trở lại ăn nhiều thịt và bắt đầu có cảm giác thích với rượu.

Theo chính lời tự bạch của bà, khi tuổi trẻ đã từng ruồng con nhỏ cùng chồng để bỏ trốn theo trai. Chính vì "lí lịch" ấy mà khi bà muốn xuất gia, các chùa đều một mực từ chối ! Mãi tận đến năm 1973, khi đã ngoài 50, bà mới được một chùa theo phái Thiên Đài thâu nạp. Sau khi xuất gia, vẫn hẹn hò với bạn trai, trang điểm và ăn thịt.

Mình đọc bà khá thích hồi mà bà viết và nói về Chuyện ông Gen. Có một thời, hay xem các chương trình truyền hình mà bà tham gia với tư cách bình luận viên.

Dưới là bài giới thiệu về cuốn tiểu thuyết vừa ra lò của bà (thật ra nó đã được đăng thành nhiều kì trên tạp chí).



Nguyên bài.

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読書人の雑誌「本」

売れてます!瀬戸内寂聴・95歳最後の長編小説の読みどころ

いのちの瀬戸際を見てたどり着いた境地

  
95歳になった第一線で走り続ける瀬戸内寂聴さん。最新作の『いのち』を執筆中に体調を崩されご自身でもいよいよ「死」を意識されたものの、現在は大好きな肉をモリモリ食べ、お酒もたしなむまでに回復された。
生まれ変わってもまた、女で小説家でありたいと話す瀬戸内寂聴さんにご自身の半生となどをインタビューした。

人間って案外死なないものね

―12月に発売となった新作『いのち』は、「群像」での連載をまとめた作品ですが、連載の途中で体調を崩され休載した期間もありました。いまお体の具合はいかがですか。
しばらくは新幹線に乗るなんて想像できないような状態でしたが、お陰さまでいまではこうして京都から東京まで出てこられるほど回復しました。食事も以前のようになんでも食べられています。昨夕もスタッフたちと、好きなお肉をモリモリ食べてきました。お酒も相変わらず飲んでいます。
腰の圧迫骨折や胆囊がん手術が重なって体調が良くなかった時には、「このまま逝くんだな」なんて思っていたのに、人間ってしぶとくて案外死なないものですね(笑)。
いま京都・寂庵には私より66歳若い女性秘書と、それより3歳若い事務員がいるんですが、この娘たちと暮らすようになったおかげで、命が延びたような気がしています。今の若い人は発想も感性も全く面白いですね。
特にまなほという秘書は明るいし可笑しいんですよ。毎朝、この娘の顔を見ると笑顔になるし、一日に何度も声をたてて笑わせてもらっている。それが私の元気の素になっているような気がします。まなほが寂庵に来ていなかったら、もうちょっと早く死んでいたかもしれない(笑)。
―『いのち』の連載は最後まで書き上げられるか、ご自身でも不安になられたそうですね。
そうですね。連載が終盤に入った頃はしょっちゅう病気をしましたね。心臓の手術もしましたから3ヵ月ほど休載させてもらいました。
92歳の時に胆囊がんが見つかった時には、すぐお医者さんに「取ってください」とお願いして、腹腔鏡を使って取ってもらいました。痛みがあったわけじゃないし、90歳を超えたおばあちゃんだから手術をしないという選択だってありえるんですが、お腹の中にがんが残っていると思うとどうも落ち着かない。だから即断でした。
でも、「心臓が悪いですよ」とお医者さんに言われた時には、ちょっと心境が変わっていましたね。先生には「もうそろそろ死にたいから手術は結構です。放っておきます!」って言ったんですよ。
そうしたらお医者さんは「ああ、そうですか」と言った後、ひと言つけ加えたんですね。「でも死ぬ前にとても痛いですよ」って。私、痛みにはとても弱いの(笑)。そこで「痛いんじゃあ仕方がない、手術やりましょう」と。それでカテーテルを入れて治療してもらいました。
そんな手術もあって、なかなか退院できなかったので、少し休載させてもらいました。もう小説家になって70年ですが、連載を途中で休んだことは一度もなかったのにね。そんなこともあって、「これはいつ死んでもおかしくない、果たしてこの連載を最後まで書き上げられるだろうか」と思ったんですが、なんとか完走することができました。
―いくつもの大病に打ち勝ち、90歳を超えてからも作品を生み出し続けている現役作家は他に例を見ません。体力も抜きんでたものを持っていらっしゃる。
そう、身体は丈夫なんでしょうね。20歳の時、40日断食しました。それで体質が変わったんです。
それに関して、自分の死を意識した時、ちょっと悩んだことがあるんです。
これ、人様に言うのは恥ずかしいんだけど、私は出家している身だから持っているものを困っている人に分け与えなきゃいけない立場でしょう? モノは気前よくあげられるんですが、一つだけ人様にあげたくないものがあるんですよ。
―なんですか?
臓器です。もちろん臓器提供の意義は大いに認めていますよ。ただ自分のことに引き付けて考えてみると、いくら死んだ後とはいえ、知らない人に自分の臓器をあげるのは感覚的に嫌だなぁと思っていたんです。でも「出家者はこんなこと言っちゃいけない」という思いもある。
それで秘書のまなほにそっと打ち明けたんです。「あげるべきなのはわかっているけど、でも知らない誰かに臓器提供をするのは嫌なのよ」って。
そうしたらまなほが、お医者さんの奥さんになっているお姉さんに連絡して、いろいろ聞いてくれたんです。それでわかったんですが、90歳を超えたおばあさんの内臓はそもそもすべて役立たずで、要らないそうなんです。
まなほから「よかったですね」って言われたけれど、ちょっと複雑ね。臓器も95歳ですけど、それぞれ結構丈夫だとは思うんですけどね(笑)。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54033




小説家って本当に面白い人種

―今作『いのち』は、やはり群像の連載をまとめた『死に支度』(2014年)の続編にあたる作品です。両作とも、寂聴さんと回りの方との交流、そして親しかった人の死を描いていますが、『いのち』では特に、親友の“死に様”を深く掘り下げて描いていますね。
一番親しかった人―作家の河野多惠子さんと大庭みな子さんの死を書いています。
二人とも才能に恵まれていて、私が一番信頼する立派な小説家でした。日本文壇史に必ず残る人物でしょうね。
私は河野さんとも大庭さんとも親しく付き合いましたが、河野さんと大庭さんはお互いに強烈なライバル心を私には隠そうともせず、私と話す時はそれぞれ相手の悪口ばかり言い立てているような関係でした。その二人と私が長く付き合えたのは、二人とも私のことは全くライバル視していなかったからです(笑)。
―お二人とも最期まで作家として死ぬことにこだわっておられたように思います。
大庭みな子さんは脳出血と脳梗塞で倒れられた後、体が不自由になり、車いすに乗った生活になりました。私がご自宅にお見舞いに行くたびに、「もう小説を書けないから死んでしまいたい。でも夫の利雄が私をまだ必要としている。だから利雄のために生きているの。本当は辛いのよ、もう死にたいの」といつも言っていました。才能がある人だけに辛かったと思います。
旦那さんの利雄さんは、会社で重役になる直前まで出世しながら、奥さんを支えるために会社を辞め、残りの人生を奥さんに尽くすだけに捧げた人です。
大庭さんが身体を壊してからも、利雄さんは大庭さんの世話をすることが何よりの生きがいでした。大庭さんは、利雄さんに自分の世話をさせるために、残りの人生を全うしたんでしょうね。事情を知らない人の目には、奥さんの奴隷のようになっている旦那さんが不憫に映ったかもしれませんが、利雄さん自身がそれを強く望んでいた。そういう夫婦関係もユニークでした。本当の愛は相手の奴隷になることだと、利雄さんは言っていました。
河野多惠子さんも起伏の激しい人生を送られました。彼女のご主人は絵描きでしたが、性格がきつい河野さんと一緒にいるのがしんどかったのか、60歳を過ぎた頃かしら、絵の勉強をするという理由でひとりアメリカに渡ってしまった。そうしたら河野さんも旦那さんを追いかけてアメリカに行っちゃったんです。
それまで日本の文壇で、ようやくそれなりの立場に上り詰めていたのに、それを手放す覚悟で旦那さんを追いかけて行ってしまった。そのまま14年ほどアメリカ暮らしを続けたんです。
―印象的なご夫妻ですね。
私にとっては二人はまたとない友達でした。あんな人物に出会うことはそうそうないと思います。いい作品を書くこと、文壇での存在感を増すことにとことん執着していました。強烈な自己顕示欲は、見ていてすがすがしいほど。だから人間としての面白味が飛びぬけているんですよ。
大庭さんが入院している時、病院にお見舞いに行ったんです。そのとき大庭さんはまだ生死の境をさまよっているような状態で、包帯でぐるぐる巻きにされたお化けみたいな恰好でベッドに横たわっていた。私が声を掛けたら、うわごとのような声で「河野、多惠子さん、は悪人です。気を、おつけ、あそばせ」って言ったんですよ。それを聴いたら本当に怖くなって、走って病室から飛び出してしまいました。
でもちょっと冷静になると、それが可笑しくて。死ぬかもしれないような状態でも、ライバル心を隠すことができなかったんでしょうね。
ただ小説家でも画家でも一緒ですが、芸術家にとって自分以外はみんな敵なんです。競争相手なんです。
だから、同業者の間で友達関係を築くのは難しそうだけど、普通の人同士の友達関係とは違う、複雑で強固な友情が芽生えることがある。私と河野さん、私と大庭さんはそういう関係だったと思います。
でもね、小説家って本当に面白い人種なんです。世の中には「この人、いい人だわ」と思う人がいっぱいいますよね? 温かい人とか優しい人とか。でも人間の面白味でいえば、何といっても小説家は別格です。
―『いのち』の中に「あの世から生れ変っても、私はまた小説家でありたい。それも女の」という一節がありますが、まさに寂聴さんの生き様が凝縮された一文だと感じました。
というか、私は小説家にしかなれないでしょうね。それに生きてみて面白いのは、やっぱり男よりも女ですよ。
私がかつて夫や娘を捨てて家を出た時に、「若い男を好きになったから家を出る」なんて思われるのはみっともなくて嫌だった。だから、一応「小説家になりたいから家庭を捨てる」という名目を立てたんです。その名目を達成するために、生きている間にどうしても小説家にならなきゃいけなかった。それでとうとう小説家になったんです。
小説家を夢見ながら現実と格闘していた頃、お金を稼ぐために他の仕事をしてしまったらきっと小説家にはなれないだろうと思っていました。私って器用だから何をしても人並み以上にできるんです(笑)。そこで一角の存在になってしまったら、そこから小説家にはきっとなれない。
だから、東京の名の通った女学校の先生になるという話もあったんですが、土壇場で断ってしまったんです。あのまま先生になっていたら結構いい先生になったと思います(笑)。でも小説はとても書けなかったでしょうね。
とにかく小説が好きだった。好きだからしょうがないんです。
70年間、書く仕事をしてきましたが、小説を書いていて苦しいと思ったことは一度もありません。よく「書けない、スランプだ」って言う人がいますけど、自分に関してはそれが一切ないんです。原稿用紙に向かえば、書きたいことが溢れてくる感じです。徹夜だって全然平気でした。
それに、どんな短い原稿でも、書き上げたときの解放感と達成感、これは他では味わえない快感です。今でも原稿を書き上げた後は、一人で「やった~、バンザーイ」ってやっているんですよ。
もう私は、今夜死んでも明日死んでも不思議じゃない95歳という年齢になりましたけど、振り返ってみると、私の人生、つくづくいい一生だったと思いますよ。好き放題やってきたし、大好きな小説も70年書き続けられた。そしてこんなに長く生きられたということをしみじみありがたく思っています。

読書人の雑誌「本」2018年1月号より
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54033?page=2

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