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18/06/2021

Giấc mơ của một cô gái Việt Nam hiện đại : em Trà Mi trong xe đông lạnh đi Anh năm 2019

Em Trà Mi đã có một thời gian làm việc tại Nhật Bản. Em có viết về giấc mơ của mình khi đó, bằng tiếng Nhật. Văn bản đó hiện còn tìm thấy ở Nhật.

Rồi sau đó, em đã đến Trung Quốc. Một hộ chiếu giả mang quốc tịch Trung Quốc đã được chuẩn bị. Em đã tử nạn trong xe đông lạnh khi từ Pháp nhập cảnh vào Anh. Đọc lại sự kiện này trên Giao Blog ở đâyở đây.

Bây giờ, là một tường thuật của phía Nhật Bản về cô gái Việt Nam này. Loạt bài của kí giả báo Mainichi-Shimbun - tờ báo phổ thông và lớn nhất tại Nhật Bản.

Cập nhật dần theo bản lên bên trang tiếng Nhật.

Tháng 6 năm 2021,

Giao Blog





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あるベトナム女性の夢 (前編)

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日本にいた時のチャー・ミーさん。白い線でサインした写真が
母親のフォンさんに送られてきた=家族提供

あるベトナム女性の夢 (前編)
朝日新聞デジタル GLOBE+ 2021/6/16

「あるベトナム女性の夢」①(全4回)
小学校の卒業文集で、私は「学校の先生になりたい」と書いた。6年生の社会の授業で歴史のこぼれ話をしてくれる担任の先生が好きだったからだ。生まれた国がどこであれ、誰もが将来に夢を抱く。日本での技能実習を終えて一昨年6月にベトナムに帰国したファム・ティ・チャー・ミーさんにも夢があった。化粧品の店を開きたい――。家族にも話したことのない思いを、彼女は日本語でしたためていた。しかし、帰国から4カ月後、英国に密入国するために身を隠したコンテナの中で命を落とした。26歳だった。なぜ危険を冒してまで行ったのか。答えを知りたくて、彼女の故郷に向かった。(宋光祐)


■作文で初めて知った娘の夢
ハノイから車で6時間。陽光を受けて青々と輝く水田が道路沿いに広がっていた。チャー・ミーさんの実家があるベトナム中部ハティン省の町ゲン。父親のティンさん(56)がバイクで近くまで迎えに来てくれた。

チャー・ミーさんの両親を訪ねるに当たって、私には2人に渡したいものがあった。彼女が神奈川県相模原市の食品工場で技能実習を始める時に書いた作文だ。会社からの課題として自己紹介を兼ねて提出していた。英国の事件の約1カ月後、チャー・ミーさんのことが知りたくて会社を訪ねた私に、日本の生活をサポートした総務課長の佐藤友教さん(36)が託してくれた。

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チャー・ミーさんが書いた日本語の作文。技能実習生として働き始める時に自己紹介を兼ねて会社に提出していた=実習先の会社提供

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★英国の事件の概要
英国ロンドン東のエセックス州グレーズで2019年10月23日未明、トラックの貨物コンテナの中から15歳から44歳のベトナム人の男女39人の遺体が見つかった。コンテナは密閉されたままベルギー北部から英国東部の港に運ばれた。中にいた39人はいずれも酸欠と熱中症で死亡した。今年1月には英国で、密入国を組織した北アイルランドやイングランド出身の男ら7人に対して禁錮刑の判決が下った。ベトナム側でもブローカーとして英国行きを募った男らに有罪判決が出ている。

英国国家犯罪対策庁によると、コンテナの中に隠れた密航は不法入国に最もよく使われる手段の一つとされる。英国やドイツ、イタリアなどでは事件後も中東やアジア、アフリカからの移民がトラックのコンテナから見つかっている。
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彼女は会社が迎えた実習生の2期生で、コンビニ向けの総菜調理を担当していた。同僚と一緒に素材を下処理するだけでなく、1人で機械を操作して200キロ分のパスタソースを作ることもあった。「人なつっこくて自分から声をかけてくる。仕事ができるからいつも頼りにされていた」。佐藤さんは彼女との思い出をそんな風に振り返った。

ベトナムに戻る4日前の送別会で、隣に座った彼女から「帰るのは寂しい。もっと日本にいたい」と打ち明けられた。初めて聞く言葉に「信頼されていたんだ」とうれしくなった。「大切な20代に家族と離れて日本に来る。その覚悟に見合ったものを持って帰って欲しかった。帰国しても、やっぱりつながりや思い入れを感じる」

職場の人たちの信頼や親しみがこもった言葉と、チャー・ミーさん自身が書き残した作文は、彼女が日本で生きた証しだった。ベトナムへの赴任がすでに決まっていた私は、故郷の家族にそれを届けたいと思った。

「私の夢」。400字詰め原稿用紙2枚の作文は、日本語を学び始めて1年にもならない人が書いたとは思えない、きれいな字でつづられていた。語彙(ごい)が限られる外国語だったからこそ、素直な気持ちを言葉にできたのかもしれない。

私の夢は化粧品の店を開くことです。私が生まれた所は化粧品屋があまりありません。私はベトナムの女の人にもっときれいになって欲しいです。女の人はきれいなとき幸せになるとおもいます。だからそういう店を開きたいとおもいました
チャー・ミーさんの作文から

営業時間や扱いたい商品も書かれている。資生堂やコーセーのファンデーション、口べに、保湿クリーム……。具体的な説明に思い入れを感じた。

作文と一緒に描かれた店のイラストも印象的で、ハノイやホーチミンの街角で間口の狭い小さな化粧品店を見かけるたびに、彼女がどんな気持ちで日本や英国に行ったのか想像させられた。

父親のティンさんが案内してくれた家は、平屋建てで壁の一部が崩れていた。昨秋の台風による被害で壊れたままだという。右隣には3階建ての立派な家があり、意識せずとも違いが目に付いた。

家では、母親のフォンさん(62)がお茶を入れて迎えてくれた。ベトナム語に翻訳した作文を手渡すと、2人はその場で文章に目を落とした。「今初めて娘の夢を知った」。涙をこらえてせき込むティンさんの隣で、フォンさんはそう言って文章がつづられたA4の紙を強く抱きしめた。「でも彼女のためにもう何もしてあげられない」。母親が絞り出した後悔の言葉に、胸が痛んだ。

技能実習には、3年間の期限を終えて帰国した後、本人と実習先の企業が互いに希望すれば、2年延長できる仕組みがある。チャー・ミーさんは佐藤さんや職場の同僚たちにその仕組みで戻ってくる考えを伝えていた。それなのに、彼女が向かったのは日本ではなく英国だった。
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あるベトナム女性の夢②(全4回)
日本での技能実習を終えて一昨年6月にベトナムに帰国したファム・ティ・チャー・ミーさんは、家族の反対を押し切って4カ月後、今度は英国で働こうと密入国を試み、身を隠したコンテナの中で命を落とした。なぜ英国だったのか。ベトナムの家族が明かした理由とは。

両親によると、2019年10月3日午前、チャー・ミーさんは自宅近くのバス停から家族に見送られて、ハノイ行きの長距離バスに乗った。翌日昼には、父親のティンさんのスマートフォンにメッセージが届いた。

車で中国に向かっています。他にもベトナム人が乗っているから心配しないで。無事に到着したら知らせるから、電話しないでください
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チャー・ミーさんから父ティンさんへのメッセージ

彼女はハノイで数時間休んでから中国に移動し、そこで10日間滞在した。具体的な滞在場所は言わず、宿泊先は快適だとだけ伝えてきたという。その間に偽造した中国のパスポートをブローカーから受け取り、空路でフランスに向かった。

ティンさんによると、17日ごろには、フランス側のブローカーの手配で英国への最初の密航を試みた。この時はコンテナの中には隠れずに乗用車で移動しており、入国後間もなく警察に捕まって、フランスに送り返されたという。

悲劇は2度目の密航で起きた。英国の警察当局や現地での報道によると、チャー・ミーさんは22日午前、フランス北部の町ビエルヌで他のベトナム人38人とトラックのコンテナに乗り込んだ。密閉されたコンテナはベルギーのブリュージュの港から船で8時間かけて英国に運ばれた。中から遺体が見つかったのは23日午前1時40分ごろ。密航を手配したグループのリーダー格で、北アイルランド出身の男がトラックの運転手に酸欠の危険を知らせ、空気を吸わせるように指示した。しかし、コンテナの扉を開けた時には、すでに全員が死亡していた。

死因は酸欠と熱中症だった。狭い空間に大勢の人が詰め込まれて内部の酸素が不足し、温度が上昇したせいだ。現場付近の防犯カメラには、運転手の男がコンテナの扉を開けた瞬間に、中にこもっていた熱気による湯気が出ていく様子が映っていたという。

所持していたパスポートから、当初は全員が中国人だと考えられた。ベトナム人だと判明したのは、チャー・ミーさんがコンテナの中から母親にSNSで送った最後のメッセージがきっかけだった。送信は22日午後10時半ごろ、まだ海の上にいた時間だった。

お母さん、ごめんなさい。私の渡航は失敗です。お父さん、お母さん、心から愛している。

フォンさんは今も、そのメッセージを消せないでいる。

英国に向かったチャー・ミーさんが父親のティンさんに途中経過を知らせてきたメッセージ。2019年10月4日昼ごろに届いた。「中国に向かっています。着いたら電話するから電話しないでください」などとある=2021年4月14日、ベトナム・ハティン省ゲン、宋光祐撮影

「日本で待ってくれている人たちに申し訳ないと思っていた」。日本の会社の同僚たちがチャー・ミーさんの死を心から悲しんでいたと伝えると、母親のフォンさんは日本ではなく英国に行くと決めた時の娘の気持ちを振り返った。チャー・ミーさんの代わりに、再会を楽しみにしていた日本の人たちに謝りたいとも言った。

チャー・ミーさんは10歳のころから、働いている両親の代わりに家事を引き受けてきた。日本での技能実習を考え始めたのは専門学校で会計を学んでいたころ。自立することを望み、卒業しても就職先がないことに悩んだ末だった。いったん大学に進学したが中退し、経済的に家族を助けられる日本行きを決心した。

英国への密航も、困難に陥った家族を自分の力で救うのが目的だった。日本での3年間では、農村部の平均月収の数倍にあたる5万円から10万円を家族に毎月仕送りした。しかし、日本に行くために借りた資金の返済や、古くなった家の修理に使うと、お金は大して残らなかった。それどころか、自営のタクシー運転手として働くために父親名義のローンで買った弟の車が事故で全焼し、家族は当時100万円を超える借金を背負った。

市場で雑貨店を営んでいるフォンさんの月収は3万円程度。父親のティンさんは工事現場や飲食店、港湾で働いてきたが、ここ数年は病気でそれもままならなくなっていた。今は目を患っており、手術を待っている。

両親は当初、チャー・ミーさんが再び外国に行くことに強く反対した。だが彼女はうんとは言わなかった。家の負債を返済するために海外に再び出稼ぎに行くと決めていた。

日本にもう一度行っても、次は滞在期間が2年と短くなる。技能実習生として働くだけでは、家族の経済的な困難を好転させられる希望を見いだせなかった。

そんな時、英国にいる友人や現地で働いたことのある知り合いから、英国行きを勧められたという。不法滞在でも、ベトナム人女性ならネイルサロンで簡単に仕事が見つかる。捕まらない限り滞在期限はなく、年収も300万円前後で日本より高い……。困窮から抜け出せなくなった両親を目の前にして、チャー・ミーさんは日本ではなく英国を選んだ。

フェイスブックやベトナム人向けのSNSで検索すれば、欧州への出稼ぎ希望者を募る広告はすぐに見つかる。ブローカーがチャー・ミーさんに提示した渡航経路には、山の中の中国との国境を自力で歩いて越える「草の根ルート」と、車や飛行機での移動が保証された「VIPルート」があった。

彼女は父親と相談して体力的に負担が軽く、より安全だとされるVIPルートを選んだ。ただし、計画が固まっているのはフランスまで。英国への入国は現地に着いてから決まると言われた。フランスまでの費用2万2000米ドル(約240万円)とは別に、英国入国の時点で成功報酬を追加で払う約束だった。費用は、両親が家や土地を担保に銀行から借りて工面した。

「この町から英国に出稼ぎに行った人はみんな無事に入国していた。危険があるなんて想像もせず、とにかく渡航費用を用意することだけ考えた。1%でも危ないと分かっていたら絶対に行かせなかった」。ティンさんはそう悔やんだ。

チャー・ミーさんがバスで旅立った時、家族全員が将来への希望を抱けることに喜んだ。今は事故で失った車のローンに加えて、渡航費用の借金がのしかかる。フォンさんは「利子を払うのも苦しい。娘を亡くし、負債だけが残った」と泣いた。(続く)

宋光祐 朝日新聞記者

http://nvkanagawa.blog.fc2.com/blog-entry-1326.html

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