Ghi chép linh tinh lúc rảnh việc cày ruộng và đọc sách

14/03/2020

Văn nghệ Thứ Bảy : đọc lại "Thoát Á luận" của giữa đại dịch toàn cầu Cô Vy 19

Về phương diện văn bản học thì Thoát Á luận 脱亜論 ra đời vào tháng 3 năm 1885. Chính xác là 16 tháng 3 năm đó.

Đã 135 năm rồi. Câu nổi tiếng trong đó là: "Văn minh, đúng văn minh phương Tây, thì đang lan truyền đi tựa như bệnh truyền nhiễm, giả dụ như bệnh sởi ấy" (nguyên văn tiếng Nhật của 135 năm về trước là: 文明は猶麻疹の流行の如し; ở đây dịch ra tiếng Việt hiện đại một cách vui vui). Đại ý, văn minh phương Tây đã lan đi toàn cầu, như một loại bệnh truyền nhiễm, mà phương Đông không có cách nào chống đỡ nổi ! Phải chung sống với nó mà thôi ! Phương Đông phải tự mình mạnh lên, tự mình trở thành người chiến thắng nó, khuất phục nó. Đó là cách lựa chọn của người phương Đông thông minh trước "bệnh truyền nhiễm".

Nước Nhật hiện đại hóa để đuổi kịp và chiến thắng "bệnh truyền nhiễm" là bắt đầu với tư tưởng như vậy.

Thoát Á luận của Fukuzawa vốn không có tiêu đề như vậy. Vốn chỉ là một bài xã luận cho tờ Thời sự tân báo vào năm Minh Trị 18 (1885). Một bài viết không dài, chỉ có hơn 2000 chữ, nếu tính giấy viết bản thảo kiểu cũ thì khoảng hơn 5 tờ (5 mặt). Sau này, thì bài xã luận ấy mới được gọi là Thoát Á luận.

Nếu so với bây giờ, có khi chỉ tựa như một bài viết trên blog hay Fb cá nhân mà thôi.

Đái khái vậy đã.

Mở đầu là một bài viết của thầy Ozagi Zenko小名木善行 (bút danh Nezu). Để nguyên tiếng Nhật.

Các bổ sung thì cập nhật dần.

Tháng 3 năm 2020,
Giao Blog

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小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
近日発売
『日本書紀』(タイトル未定)


福沢諭吉の「脱亜論」


【緊急告知】
3月20日に開催を予定しておりました第70回倭塾は、新型コロナウイルスの問題から、まことに残念ながら開催を中止とさせていただきます。
 3月6日 小名木善行


チャイナ・コリアと接するときには、いちいち「隣国だから」といって格別の配慮をする必要などさらさらありません。チャイナ・コリアに対しては、西欧諸国が両国に接するのとまったく同様に、相手を人の住む国とさえ思わず、厳しく対処すればよろしい。
悪友と仲良くする者は、共に悪名をまぬがれない。
これは福沢諭吉の言葉です。

20200312 福沢諭吉
画像出所=https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00714/
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)




福沢諭吉の「脱亜論」は、出た当初は、タイトルがありません。
当初、この文は「時事新報」の社説として掲載されたもので、後にこれが「脱亜論」と呼ばれるようになりました。

もともとが新聞の社説ですから、決して長い文章ではありません。
原文は、2200字、原稿用紙5枚半の短いものです。
いつものように、ねず流に読みやすく現代語に訳してみます。
原文は下に示します。

これが出たのが明治18年です。
いまから135年もの昔です。
にもかかかわらず、いまだにチャイナやKoreaにおもねようとする人がいる。
昔、「塀の中の懲りない面々」という本がベストセラーになったことがありましたが、まさに日本という島国の中の懲りない面々といえるのではないでしょうか。
歴史に学ぶことのたいせつさが、この短い文に集約されているように思えます。

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【現代語訳・脱亜論】
時事新報 社説 福沢諭吉
明治18(1885)年3月16日

世界の交通はめまぐるしく進化して、西洋文明の風はついに東アジアにもやってきました。
いまや草木さえもこの風の影響を受けています。
西洋人であっても東洋人であっても、人間であることには、なんら変わりはありません。
けれど昨今、西洋人の影響力と行動力がいちじるしく大きくなってきたのは、ひとえに交通の便が発達したことによります。

西洋文明が東進してくるのに対して、これを防ごうと思うなら、まず大切なのは「覚悟」です。
そして覚悟を定めて、世界の現実をよく見て、世界で何が起きているのか、現実をよく確認しなければなりません。

文明というのは、いわば麻疹(はしか)のような伝染病に似ています。
いま東京で起きている伝染病は、もともとは西国の長崎で流行ったものかもしれないけれど、いつの間にか東進して、春のあたたかさとともに東京にまでひろがりました。

伝染病がはじまったとき、それが広がってから病を防ごうとしても、手段はありません。
有害なだけで何のとくにもならない流行病でも、それがひとたび始まれば、その勢いを防ぐことはできないのです。

まして西洋文明となれば、それは西欧社会に利益をもたらすものなのですから、侵攻を止めるのは至難のわざです。
であるならば、西欧文明の侵入そのものを「防ぐ」というのではなく、むしろ私達自身が体力をつけて、これに負けない国になるしかありません。
それが智者の選択と行うべきものです。

そもそも西洋文明がわが国にはいってきたのは、江戸時代のことです。
嘉永年間に黒船がやってきて、多くの人たちがその脅威を前に、日本が強くならなければならぬと心に誓いました。
けれどそれをさせまいと進歩の前に横たわったのが徳川幕府でした。

日本が近代化して西欧と対等につきあえる国となるか、それとも幕府を中心とした旧体制を維持するか。
その二者択一を迫られたときわが国は、「国を重んじ政府を軽し」とする大義に基づいて行動し、ご皇室という神聖かつ尊厳ある存在とともに、もはや老害以外の何ものでもなくなった旧幕府を倒し、新政府を打ち立てることを選択をしました。
日本は、国中、身分の別なく、西洋文明に追いついて行こうという体制を打ち立てたのです。

そうすることでわが国は、次々と植民地支配されて行くアジア諸国の中にあって、唯一、国家として、民族として独立自尊を保ち、生き残るための新たな基軸を打ち立て、近代国家を形成することに成功しています。

ではその日本が行った選択とは何であったのか。
それこそが、まさに「脱亜」の二字でした。

日本は、アジアの最東端にある国です。
しかしその日本国民の精神は、すでにアジア的老害を脱して、西洋文明にちかづきつつあります。
すなわち、日本は西欧諸国とあい並ぶ独立国家としての道を進みはじめているわけです。

ところが、その日本には、実はたいへんな不幸があります。
なにかというと、チャイナ、コリアです。

この二国も、もともとは日本と同じくアジア流の政教風俗をもっている国です。
ところが人種の違いなのか、教育の差なのか、チャイナ・コリアと、日本との文化的な隔たりは、あまりにも大きいものです。

情報がこれほど速く行き来する時代なのです。
西欧的近代文明や、国際法についての知識は、彼らにだって当然もたらされているはずです。
にもかかわらずチャイナ・コリアの二国は、まったく変わろうという気がありません。
変わろうとしないだけでなく、まるっきり百千年の昔のままの姿で居続けようとしています。

文明が、まさに日進月歩で進化している現代にありながら、この両国は教育といえば二千年も昔の儒教を言い、学校教育では仁義礼智といい、一から十まで外見を飾りたてることだけを大事にして、中味は、まるで空っぽの脳みそしかもちあわせていません。

アホにはアホの可愛らしさというものが、普通ならあるけれど、この二国に関しては道徳心などかけらほどもなく、その残酷さは破廉恥をきわめています。
それでいながら、態度だけは傲慢そのもので、いかに他国や他人に迷惑をかけても、自省の色なんて毛ほどもありません。
私に言わせれば、この西欧文明の東進という脅威に対し、この二国が独立を維持し続けるなどというのは、およそ不可能なことです。

もしチャイナ・コリアの二国に、幸いにも救国の志士が現れて、わが国の明治維新のような政治改革を実現し、政治をあらためて人心の一新ができれば、話は別ですが、そうでなければチャイナ・コリアの二国は、いまから数年を経ずして亡国の道をたどり、その国土は世界の文明諸国によって分割、分断されてしまうことは、火を見るよりあきらかなことです。

なぜなら、伝染病にも等しい西洋文明の侵攻にあいながら、チャイナ・コリアの両国は、その伝染するという自然の摂理にそむいて、無理にこれを避けようとして、旧来の陋習(ろうしゅう)という一室にひきこもっているだけだからです。
そんなことをして、部屋の空気を遮断すれば、そのうち窒息して死んでしまうのはあたりまえのことです。

「春秋左氏伝」に「唇歯輔車(しんしほしゃ)」という言葉があります。この言葉は、「輔車」が頬骨ほおぼねと下あごの骨、「唇歯」がくちびると歯で、隣国同志が互いに助け合うことをいいます。
けれど、いまのチャイナ・コリアは、日本のために毛筋一本の値打ちもありません(一毫の援助と為らざる)。

そればかりか、ややこしいことに、この日支朝の三国が地理的に近いがゆえに、欧米人から同一視されかねません。
つまり、チャイナやコリアの不出来な振る舞いをもって、あたかも日本も同じだと思われてしまいかねない危険性さえも持っているのです。

たとえば、チャイナ・コリアが古い専制君主独裁体制で、法治の観念を持たない国であれば、西洋人は、日本もまた、ああ無法律の国かとみなしてしまいます。
チャイナ人やコリアンが理屈にならない手前勝手な屁理屈ばかり並べ立てれば、ああ日本人も屁理屈をこねくりまわしている、訳のわからない国だと思われます。
あるいはチャイナコリアンが、西欧の武力に恥かしげもなく屈して卑屈な態度をとっていれば、ああ日本も同じ卑屈な習俗の国だとしか思われません。
また、コリアの刑罰に、およそ人に行うには酷すぎる残虐な刑罰があれば、日本も同様に残虐非道な国だと疑われてしまう。

こんな例をあげれば、それこそ枚挙にいとまがありません
ようするにひとつの村の住人のほとんどが、愚かで無法で残忍で無情ならば、たとえその村の中にまっとうな一家があったとしても、村の外の人々からみれば、どっちもどっちにしか見えないというのと同じことです。

そしてその影響はすでに随所にあらわれていて、わが国の外交に少なからぬ影響を与えています。
これこそ、我が日本の一大不幸というべきことです。

もはや日本に、チャイナやコリアが開明して国際常識を身につける日を待っているような余裕はありません。
むしろ、チャイナやコリアとは早々に縁を切って、西欧諸国と進退を共にすべきです。

そして、チャイナ・コリアと接するときには、いちいち「隣国だから」といって格別の配慮をする必要などさらさらありません。
チャイナ・コリアに対しては、西欧諸国が両国に接するのとまったく同様に、相手を人の住む国とさえ思わず、厳しく対処すればよろしい。
悪友と仲良くする者は、共に悪名をまぬがれないのです。
私は、心において、もはやアジア東方の悪友であるチャイナ・コリアとは、絶交を宣言するものです。


【原文】
世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸し、至る處、草も気も此風に靡かざるはなし。蓋し西洋の人物、古今に大に異なるに非ずと雖ども、其擧動の古に遅鈍にして今に活發なるは、唯交通の利器を利用して勢に乗ずるが故のみ。故に方今当用に國するものゝ為に謀るに、此文明の東漸の勢に激して之を防ぎ了る可きの覺悟あれば則ち可なりと雖ども、苟も世界中の現状を視察して事實に不可ならんを知らん者は、世と推し移りて共に文明の海に浮沈し、共に文明の波を掲げて共に文明の苦樂を與にするの外ある可らざるなり。文明は猶麻疹の流行の如し。目下東京の麻疹は西國長崎の地方より東漸して、春暖と共に次第に蔓延する者の如し。此時に當り此流行病の害を惡て此れを防がんとするも、果して其手段ある可きや。我輩斷じて其術なきを證す。有害一遍の流行病にても尚且其勢には激す可らず。況や利害相伴ふて常に利益多き文明に於てをや。當に之を防がざるのみならず、力めて其蔓延を助け、國民をして早く其氣風に浴せしむるは智者の事なる可し。西洋近時の文明が我日本に入りたるは嘉永の開國を發端として、國民漸く其採る可きを知り、漸次に活發の氣風を催ふしたれども、進歩の道に横はるに古風老大の政府なるものありて、之を如何ともす可らず。政府を保存せん歟、文明は決して入る可らず。如何となれば近時の文明は日本の舊套と兩立す可らずして、舊套を脱すれば同時に政府も亦廢滅す可ければなり。然ば則ち文明を防て其侵入を止めん歟、日本國は獨立す可らず。如何となれば世界文明の喧嘩繁劇は東洋孤島の獨睡を許さゞればなり。是に於てか我日本の士人は國を重しとし政府を輕しとするの大義に基き、又幸に帝室の神聖尊嚴に依頼して、斷じて舊政府を倒して新政府を立て、國中朝野の別なく一切萬事西洋近時の文明を採り、獨り日本の舊套を脱したるのみならず、亞細亞全洲の中に在て新に一機軸を出し、主義とする所は唯脱亞の二字にあるのみなり。
 我日本の國土は亞細亞の東邊に在りと雖ども、其國民の精神は既に亞細亞の固陋を脱して西洋の文明に移りたり。然るに爰に不幸なるは近隣に國あり、一をチャイナと云い、一をコリアと云ふ。此二國の人民も古來亞細亞流の政教風俗に養はるゝこと、我日本國に異ならずと雖ども、其人種の由來を殊にするか、但しは同様の政教風俗中に居ながらも遺傳教育の旨に同じからざる所のものある歟、日支韓三國三國相對し、支と韓と相似るの状は支韓の日に於けるよりも近くして、此二國の者共は一身に就き又一國に關してして改進の道を知らず。交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども耳目の聞見は以て心を動かすに足らずして、其古風舊慣に變々するの情は百千年の古に異ならず、此文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云ひ、學校の教旨は仁義禮智と稱し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、其實際に於ては眞理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し。我輩を以て此二國を視れば今の文明東漸の風潮に際し、迚も其獨立を維持するの道ある可らず。幸にして其の國中に志士の出現して、先づ國事開進の手始めとして、大に其政府を改革すること我維新の如き大擧を企て、先づ政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、若しも然らざるに於ては、今より數年を出でずして亡國と爲り、其國土は世界文明諸國の分割に歸す可きこと一點の疑あることなし。如何となれば麻疹に等しき文明開化の流行に遭ひながら、支韓兩國は其傳染の天然に背き、無理に之を避けんとして一室内に閉居し、空氣の流通を絶て窒塞するものなればなり。輔車唇歯とは隣國相助くるの喩なれども、今のチャイナ・コリアは我日本のために一毫の援助と爲らざるのみならず、西洋文明人の眼を以てすれば、三國の地利相接するが爲に、時に或は之を同一視し、支韓を評するの價を以て我日本に命ずるの意味なきに非ず。例へばチャイナ・コリアの政府が古風の専制にして法律の恃む可きものあらざれば、西洋の人は日本も亦無法律の國かと疑ひ、チャイナ・コリアの士人が惑溺深くして科學の何ものたるを知らざれば、西洋の學者は日本も亦陰陽五行の國かと思ひ、チャイナ人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠も之がために掩はれ、コリア國に人を刑するの惨酷なるあれば、日本人も亦共に無情なるかと推量せらるゝが如き、是等の事例を計れば、枚擧に遑あらず。之を喩へば比隣軒を竝べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然も殘忍無情なるときは、稀に其町村内の一家人が正當の人事に注意するも、他の醜に掩はれて湮没するものに異ならず。其影響の事實に現はれて、間接に我外交上の故障を成すことは實に少々ならず、我日本國の一大不幸と云ふ可し。左れば、今日の謀を爲すに、我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫ある可らず、寧ろその伍を脱して西洋の文明國と進退を共にし、其チャイナ・コリアに接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ。惡友を親しむ者は共に惡友を免かる可らず。我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。

※この記事は2014年3月の記事の再掲です。

お読みいただき、ありがとうございました。

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