Chùa cổ hơn 800 năm. Đang là cuối tháng 3 của năm Bình Thành 31. Đây là những ngày cuối cùng Nhật Bản sử dụng niên hiệu Bình Thành. Đồng hồ đang đếm ngược đến giờ phút đức kim thượng Bình Thành chính thức thoái vị, và hoàng thái tử lên ngôi. Ở giờ phút đó, niên hiệu mới sẽ được công bố.
Điểm đặc biệt của lần cải nguyên 2019 này, là lần đầu tiên niên hiệu sẽ không dựa vào kinh điển Trung Quốc, mà dựa vào điển tích Nhật Bản. Mà chủ yếu là dựa vào hai cuốn Cổ sự kí và Nhật Bản thư kí - những cuốn sách gối đầu giường của giới cổ học và văn hóa dân gian (folklore), có thể xem đại khái như Lĩnh Nam chích quái và Việt điện u linh của Việt Nam. Tinh thần quốc học Nhật Bản được xây dựng bắt đầu bằng việc chú giải hai bộ sách ấy của giới trí thức hồi thế kỉ 16 - 17. Nói cụ thể ở một dịp khác.
Một số giấy tờ quan trọng của tôi mang niên hiệu Chiêu Hòa (hồi cố), và niên hiệu Bình Thành (hiện thực). Đã nói về việc đó ở đâu đó trên Giao Blog. Nhiều năm về trước, lần đầu thấy giấy tờ tùy thân ghi niên hiệu Chiêu Hòa, tôi đã bất ngờ một lúc ! Sau thì quen dần.
Một số giấy tờ quan trọng của tôi mang niên hiệu Chiêu Hòa (hồi cố), và niên hiệu Bình Thành (hiện thực). Đã nói về việc đó ở đâu đó trên Giao Blog. Nhiều năm về trước, lần đầu thấy giấy tờ tùy thân ghi niên hiệu Chiêu Hòa, tôi đã bất ngờ một lúc ! Sau thì quen dần.
1. Năm ngoái, năm Bình Thành 30, tức năm 2018, cũng vào độ cuối tháng 3 này, sakura đã mãn khai (xem ở đây).
2. Năm nay, sukura ở khuôn viên chùa cổ cũng đã rực lên rồi.
2. Năm nay, sukura ở khuôn viên chùa cổ cũng đã rực lên rồi.
3. Vì ảnh chụp xa, nên không thấy rõ nội dung của tấm bảng ở bên cạnh cổng chùa. Có hai cổng. Một cổng chính (đi vào chính điện) và một cổng phụ (lối đi hàng ngày của gia đình sư trụ trì).
Ở ngay bên dưới cổng chính, là tấm biển, trên đó có những câu thú vị sẽ được thay đổi định kì. Ví dụ một lần ở đây (năm 2016).
Bây giờ thì không rõ chữ trên đó:
Hà Nội, cuối tháng 3 năm 2019
Giao Blog
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BỔ SUNG
3.
SGRAかわらばん764号(2019年3月28日)
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SGRAエッセイ#591
◆宋�「元号雑感」
このエッセイを執筆している2019年3月の時点で、巷では元号選定がトピックの一つである。改元の社会に及ぼす影響は色々とあるようだが、漢文学を専門としている筆者からすれば、日本の古典からの出典を検討、とのニュースが興味深い。中国の古典を出典とするのが元号選定の慣例だが、今回は『古事記』や『日本書紀』からの引用も俎上にのぼっているとのこと。ネットを見る限りではなかなかに活発な議論を引き起こしている。やれ、『古事記』や『日本書紀』は漢籍をベースにして漢文で編纂された史書なので、この二つの古典から引用しても結局は漢籍由来になってしまうので不毛。やれ、そんな細かいことはどうでもいいから日本の古典から引用しろ。——日本文化の独自性が争点のようである。元号選定は日本の問題であり、外国人の筆者がしゃしゃり出る幕はない。出る幕はないのだが、元号は中国由来の文化制度なので、雑感を述べたいと思う。
そもそも元号は、今の私達が当たり前のように使っている西暦と同じように、年数を計算するための紀年法の一種である。清代の歴史家・趙翼の考証によれば、漢の武帝が紀元前140年に制定した「建元」が中国最古の元号であり(『二十二史札記』)、ということは東アジア最古の元号ということにもなる。漢の武帝といえば、中国史上屈指の専制君主であり、武帝の治世下で統一帝国としての漢王朝の支配体制が確固たるものになったとされている。元号を話題にしているのに本筋からずれた話をしているように思われるかもしれないが、実は大いに関わりがある。ちょうど紀元前45年にユリウス暦がカエサルによって制定されたように、古代国家は領土(=空間)だけではなく、時間をも支配する。それも当然のことで、当時の農民にとって農事を計画的に行うための暦が必要不可欠であり、古代の世界では国家だけが毎年の暦を計算し布告する技術力を持っていた。つまり、元号は統一帝国の時間に対する支配権を象徴する制度だった。
古代中国社会における元号の政治的意味は、三国時代を例とするとわかりやすい。英雄・曹操の後継者である曹丕は後漢最後の皇帝の献帝から帝位を譲り受け(禅譲という)、魏王朝を創始した。曹丕は帝位に即くにあたって元号を「黄初」としたのだが、魏に対抗する呉の孫権は後漢王朝を正統と仰ぎ、献帝の元号である「建安」を使用し続けたのが、出土文献によって明らかとなっている。つまり、孫権は魏王朝の支配権を認めなかったのである。このケースを応用するとすれば、古代東アジアにおいて独自の元号をもつことが独立国家としての表明に等しかった。例えば東アジアにかつて存在していた高句麗・高昌・新羅といった古代国家は独自の年号をもっていた。
だいぶ遠回りしてしまったが、日本の元号に話を戻す。日本最古の元号は、大化の改新で知られる孝徳天皇の「大化」である。当時の首脳陣は元号の意味を精確に理解していたであろうから、この時に日本は独立国家としての立場を内外に表明したと考えられる。以降、短期間の断絶を挟みながら、元号は現代まで日本に生き続けている。このような歴史的経緯をふまえた上で、今の元号選定問題を考えると、やはり興味深い。古代においては漢籍から引用された元号を持つのが独立国家としての意思表示だったが、今や漢籍を出典とすること自体が日本文化の独自性の観点上、一部の有識者から不都合だと思われている。してみると、時を経ても不変と認識されがちな文化の独自性というものも、結局は時々の価値観次第でいかようにも変わるのである。それは元号だけに、日本だけに限った話ではない。どの国の文化にも言えることだろう。
もっとも自分自身が、そして自分の所属する共同体、社会、国家が、本質的に独創的であることを望まない人間はいない。口先ではどうとでもこの主張に反論できるが、ふとしたきっかけでナショナリスティックな態度を人は見せるもの(筆者もまたしかり)。ただ、文化の独創性をつきつめると、文明の揺籃であるイラク・シリア・エジプトあたりが最もオリジナリティがある、ということになりはしないか。いや、人類が誕生したアフリカではないのか。こう考えてみると、なんとも味気ない議論である。味気ないついでに、芥川龍之介がぼやいたようにぼやいてみよう。文化は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。しかし重大に扱わなければ危険である。
<宋�(そう・かん)Song_Han>
2017年度渥美奨学生。2018年東京大学大学院人文社会系研究科博士号取得(文学)。現在、フェリス女学院大学文学部日本語日本文学科助教。専門は平安朝漢文学を中心とする日中比較文学研究。
2. Chữ "An" và niên hiệu "An Cửu" chăng ?
新元号は「安久」!? SNSなどで予想合戦白熱 「M・T・S・H」以外、「安」の文字人気
天皇陛下の譲位で来年5月1日に元号が「平成」から改元されるのを前に、新元号予想が過熱している。早くもSNS(会員制交流サイト)での議論や、予想アンケートを行う民間企業なども相次いでおり、改元が近づくにつれてさらに盛り上がりをみせそうだ。専門家は「生前退位(譲位)によって予想自体がタブー視されにくくなった」と指摘しており、改元に対する国民の意識の変化も背景にあるとみられる。(小松大騎)
タブー視なく
「明治、大正、昭和、平成の頭文字をアルファベット表記にしたM・T・S・H以外の文字になるのは確定」「Aが頭文字の元号は江戸時代の『安政』以来ない。平和が持続するように『安久(あんきゅう)』がいいのでは」
昨年12月に開かれた、譲位の日程を決める皇室会議で、陛下が平成31年4月30日に譲位され、皇太子さまが5月1日に即位されることになり、SNSでこんな予想合戦が白熱している。元号は645年の「大化」から「平成」まで247を数えるが、「永」「和」「安」「天」「元」など、繰り返し使われている漢字が多いとの理由から有力候補を絞り込むなど、インターネット上で盛んな議論がなされている。
「生前退位ならではの現象だ」と分析するのは、元号の成り立ちに詳しい東京大の山本博文教授(歴史学)だ。前回の改元における国民の関心事は「昭和天皇の容体」で、新元号を予想するのは「崩御を見越した不敬な行為」とされ、政府や報道機関が秘密裏に新元号を議論していた程度だった。
ただ、今回は譲位によって予想自体が「タブー視」されにくくなったという。山本教授は「改元までの日程が明確になり、国民の関心が高まっていることに加え、SNSの普及で誰でも予想を発信できるようになったことが、予想合戦の盛り上がりに一役買っているのだろう」と語る。
https://www.sankei.com/west/news/180925/wst1809250035-n2.html
1.
新元号は?
産経新聞に新元号は「安久」?と出ています。
もちろん事前に漏れるはずがありません。インターネット上で白熱する予想合戦のなかで人気の元号案なのだそうです。あるアンケート調査でも上位にランクインしていたとか。かつては一般市民が元号を云々するなど不遜なことでしたが、天皇陛下の生前退位によって元号が身近に感じられるようになったとすれば、歓迎すべきことではないかと思います。
幼い頃、同居していた当時60代の祖母は明治生まれでした。大ざっぱに言えば、40代までが昭和生まれ、50代の人は大正生まれ、60代以上は明治生まれという感じで世代と元号が対応しているイメージがありました。今は30代以上の人はみんな昭和生まれ、20代以下は平成生まれという時代になりました。そのうち、「昭和」はあの頃の「明治」のようなお年寄りのイメージになっていくのでしょうね。
高校時代と大学受験では日本史が苦手だった私ですが、鎌倉時代の一時期の元号だけ色濃く心に刻んでいます。20年前に亡くなった父が日蓮大聖人の御書(遺文)が大好きでよく諳んじて聞かせてくれました。御書の題号に続けて執筆年月が記されているので、そこで当時の元号に触れたのです。大学生になってからは専攻の言語学とは別に自発的に御書をむさぼり読みました。同じ信仰を持つ仲間と勉強会もよくやりました。
御消息文と呼ばれる弟子へのお手紙。その多くは日蓮大聖人の生涯の後半の「文永、建治、弘安」と、三つの元号の時代に記されています。特に極寒の流刑地・佐渡島で2年3ヶ月を過ごされた「文永」(1264-1275)は鎌倉時代最長の12年まで続いた元号で、「開目抄」「観心本尊抄」「諸法実相抄」などの重要な御書を多く著されていて心に残ります。例えば、題号を読むとき、「開目抄 文永九年二月 五十一歳御作」とお読みするのです。「文永」(ぶんえい)。日蓮遺文が永く伝わることを表すかのような元号で、とてもしっくり来ます。音の響きもよいと感じます。蒙古襲来の「文永の役」でも知られていますね。
だから個人的な希望としては「文」の字が入っていたらいいと思います。文学部の教員ですし、人文科学者でもありますから。例えば「文興」(ぶんこう)。「文隆」(ぶんりゅう)。「永」の字が入るとしたらやはり後ろの文字の方が響きがいいように思います。例えば「順永」(じゅんえい)。「亮永」(りょうえい)。穏やかな時代、明るい時代が永く続くようにとの願いです。考えるだけなら自由ですから、今だけの楽しみです。
あと数日もすれば正式に発表となります。自分の人生で最後の元号になるかもしれない元号の発表を固唾を呑んで待ちたいと思います。
https://ameblo.jp/yamaokamasaki/entry-12450259286.html
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