Hôm nay, lại tranh thủ đi cắt tóc. Rồi lại tranh thủ nói chuyện phiếm với người ở trong tiệm về đại động đất năm 2011. Vì báo chí trong ngày dành trang nhất để tưởng niệm.
Đến sở thì đã thấy cờ rủ, và nhận được thông báo là lúc 2: 46 chiều thì toàn sở sẽ làm lễ "mặc niệm". Loa nội bộ trong các phòng sẽ phát lời hướng dẫn. Mọi người đứng lên làm lễ mặc niệm theo hướng dẫn đó. Tức mặc niệm tại chỗ.
Tất cả các cơ quan thuộc Bộ Giáo dục và Khoa học của Nhật Bản đều thực hiện như vậy.
Đại khái ý chính của thông báo là:
"東日本大震災四周年追悼式の当日における弔意の表明について
このことについて、別紙のとおり、人間文化研究機構長を通じて文部科学事務次官から、
東日本大震災四周年追悼式の当日における弔意の表明の協力依頼がありましたので、お知ら
せします。
本館においては、同日に下記のとおり弔意を表明することとしますので、各位におかれま
してはご協力いただきますようよろしくお願いいたします。
記
1.半旗の掲揚(終日)
2.黙祷:午後2:46に全館館内放送で黙祷の案内を行います。
Dưới là một bài nguyên tiếng Nhật nói về công việc phục hồi sau thảm họa.
ブログ:震災4年、福島除染の現実
[富岡町(福島)9日 ロイター] - 福島県双葉郡富岡町では、除染作業員が放射性物質に汚染された土などを運んでいる。2011年3月11日に発生した東日本大震災は、今なお被災地に深い爪痕を残している。
震災から4年──。東京電力の福島第1原子力発電所事故による放射性廃棄物の中間貯蔵施設を建設する政府の計画に、付近の住民たちは心を引き裂かれている。
中間貯蔵施設建設のための土地売却を促すため、環境省の職員が木村さんを訪ねて来るのは時間の問題かもしれない。
だが、木村さんは決して交渉には応じないと心に決めている。
「土地は売らないし、貸さない」と話す。
作業員が集めた汚染土は青と黒のフレコンバッグに入れられ、田畑や駐車場、人家の裏庭に置かれている。
政府は今後数年のうちに、福島第1原発付近の双葉町と大熊町に中間貯蔵施設を建設する予定。しかし木村さんのように、地元住民の多くは自分の故郷に政府が約3000万トンもの除染廃棄物を貯蔵しようとしていることに怒りを感じている。
政府が中間貯蔵施設の建設を予定している双葉町と大熊町の住民約2300人は苦渋の選択に迫られている。
震災発生から数カ月後、妻と父の遺体は見つかった。しかし、次女の汐凪ちゃん(当時7歳)は行方不明のままだ。もう見つからないかもしれないという思いが木村さんの脳裏に浮かぶ。
木村さんは4年たった今でも大熊町に戻り、何か手がかりがないか砂浜を探し続けている。しかし、被ばくガイドラインで許されている帰還困難区域への「一時帰宅」は最長5時間だ。
ゼッケンには、「熊町小1年2組 木村汐凪」と書いてある。
「長いようで短い」=被災地で早朝から祈り-東日本大震災から4年
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2015031100301
激しい揺れと津波が肉親や友人を奪い、古里の風景を一瞬にして変えたあの日。東日本大震災から4年を迎えた11日、東北地方の各地では、早朝から祈りをささげる人の姿が見られた。
津波で破壊され、職員や住民43人が犠牲となった宮城県南三陸町の防災対策庁舎には、雪が舞う中、夜明けごろから人々が集まり、献花した。義妹や知人らを亡くした佐藤良夫さん(67)は「長いようで短いような4年間だった。一日も早い町の復興を願う」と話した。
庁舎は、震災を象徴する遺構としての保存か解体かで意見が分かれている。佐藤さんは、骨組みや階段部分だけが残った庁舎を見上げ、「個人的には残して後世に伝えたいとは思うが、住民感情を考えると難しい」と悩ましげだった。
町職員だったいとこが今も行方不明という横浜市の河原竜二さん(63)は「諦めきれないところもあるが、受け止めていかなければと思っている」と語った。津波で家が流され、仮設住宅に暮らす後藤一磨さん(67)は、町から人が流出している現状に触れ、「(亡くなった知人らに)希望があるという報告ができず悔しい」と涙ぐんだ。
同県石巻市の高台にある日和山公園を訪れた萩原正史さん(65)は「もう4年だが、道路のかさ上げ工事もまだまだ。まだマイナスだ」と話した。
庁舎は、震災を象徴する遺構としての保存か解体かで意見が分かれている。佐藤さんは、骨組みや階段部分だけが残った庁舎を見上げ、「個人的には残して後世に伝えたいとは思うが、住民感情を考えると難しい」と悩ましげだった。
町職員だったいとこが今も行方不明という横浜市の河原竜二さん(63)は「諦めきれないところもあるが、受け止めていかなければと思っている」と語った。津波で家が流され、仮設住宅に暮らす後藤一磨さん(67)は、町から人が流出している現状に触れ、「(亡くなった知人らに)希望があるという報告ができず悔しい」と涙ぐんだ。
同県石巻市の高台にある日和山公園を訪れた萩原正史さん(65)は「もう4年だが、道路のかさ上げ工事もまだまだ。まだマイナスだ」と話した。
津波で当時の町長と職員計40人が犠牲になった岩手県大槌町の旧役場庁舎前では、約30人の職員が黙とう。碇川豊町長は「多くの仲間が犠牲になったことは深い悲しみだ。大槌の再生を職員一丸で力強く前に進める」と述べた。
町を見渡せる高台の墓地では、昆セツ子さん(76)が、津波で失った一人娘の公枝さん=当時(45)=の墓前に花を供え、手を合わせた。親子で経営していた食料品店は、一人では立ちゆかず閉めた。「考えると寂しくなるからくよくよしないようにしている」。月命日ごとに訪れているといい、この日もタオルで墓石を磨き、「また来るからね」と優しく声を掛けた。
町を見渡せる高台の墓地では、昆セツ子さん(76)が、津波で失った一人娘の公枝さん=当時(45)=の墓前に花を供え、手を合わせた。親子で経営していた食料品店は、一人では立ちゆかず閉めた。「考えると寂しくなるからくよくよしないようにしている」。月命日ごとに訪れているといい、この日もタオルで墓石を磨き、「また来るからね」と優しく声を掛けた。
「お父さんに会えるのはこの場所」。福島県南相馬市小高区の鎌田フミ子さん(77)は避難指示区域内にある夫の武夫さん=同(75)=の墓にお参りした。車に孫たちを乗せ、追われるように津波から逃げたが、農作業中だった夫は間に合わなかった。「孫たちの成長を見守ってほしい」と伝えたという。(2015/03/11-12:02)
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