Ghi chép linh tinh lúc rảnh việc cày ruộng và đọc sách

24/11/2019

Giáo hoàng thăm Nhật Bản 2019 : kỉ niệm 470 năm, 100 năm và 70 năm

Nhật Bản chỉ có 44 vạn người (tức dưới nửa triệu người) là tín đồ Thiên Chúa Giáo, chiếm 0,3% dân số toàn quốc.

Về cơ bản, Nhật Bản là thần quốc (thần đạo từ cổ xưa), mà cũng là Phật quốc (Phật giáo với rất nhiều tông phái). Thần và Phật tích hợp vào nhau, nên khái quát nhất là đất nước của Thần Phật.

Tới một nước mà chỉ có rất ít giáo dân như vậy, nên lần tới thăm Nhật Bản của Giáo hoàng La Mã vào cuối tháng 11 này (từ 24 đến 26 tháng 11 năm Lệnh Hòa thứ nhất), đang được truyền thông Nhật Bản và quốc tế chú ý.

Nhìn tổng thể, như chính đương kim Giáo hoàng cho biết: ông đến Nhật Bản như một thôi thúc mang tính mơ ước từ khi còn trẻ, ông ngưỡng mộ và cũng ngẫu nhiên trùng tên với linh mục đã đến Nhật Bản năm 1549 (vị linh mục này cũng đã tới Việt Nam lúc đương thời). Từ 1549 đến nay, là tròn 470 năm.

Thêm nữa, tính từ năm 1919 - năm mà đại sứ đặc biệt của Giáo hoàng La Mã lúc đó được cử tới Nhật Bản, thì năm 2019 này, là vừa 100 năm.

Còn tính từ năm 1949 - năm mà Vatican lại cử một đại sứ đặc biệt của Giáo hoàng La Mã tới Nhật Bản - thì vừa 70 năm.

Tin từ các nơi. Có cả tin tiếng Việt.

















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TIN TỨC


Theo lịch trình, đúng 21:50 tối nay (24/11/2019), Đức Giáo Hoàng Phan-xi-cô sẽ đáp máy bay xuống Haneda, Tokyo sau khi Ngài đã đi thăm Nagasaki và Hiroshima, 2 thành phố hứng chịu bom nguyên tử đầu tiên của nhân loại.
Tokyo ngày hôm nay trời âm u, mưa nhiều và se se lạnh, vốn không tốt lắm cho sức khoẻ của Đức Thánh Cha, bởi vì Ngài đã từng bị bệnh phổi và phải cắt một phần lá phổi bên phải. Chứ nếu không phải bị bệnh như vậy, Ngài đã thăm nước Nhật từ lâu lắm rồi, vì ước nguyện lúc trẻ đi tu của Ngài là làm một vị Thừa Sai Dòng Tên truyền giáo tại Nhật Bản như Thánh Phan-xi-cô Xa-vi-e đã làm từ năm 1549.
Tại Tokyo, Ngài sẽ có buổi nói nói chuyện với những nạn nhân đã bị một lúc 3 thảm hoạ năm 2011 (động đất, sóng thần, và rò rỉ hạt nhân) tại Bellesalle Hanzomon. Sau đó, Ngài tiếp kiến riêng với Tân Nhật Hoàng Naruhito, trước khi có buổi nói chuyện với giới trẻ Nhật Bản tại Nhà Thờ Chính Toà Thánh Maria vào lúc 11:45 ngày 25/11.
Phần lớn những hoạt động của Đức Thánh Cha sau đó là các cuộc gặp gỡ riêng tư (gặp Thủ Tướng Abe Shinzo, họp với các ngoại giao đoàn, quan chức chính phủ, thăm Dòng Tên, thăm Đại Học Công Giáo Sophia...), ngoại trừ Thánh Lễ được Ngài cử hành lúc 16:00 ngày 25/11 tại Sân Vân Động Tokyo Dome.
Bất chấp tỉ lệ số dân theo đạo rất ít với chỉ 0,3%, cùng những lo ngại về thời tiết không mấy thuận lợi, sự kiện Đức Giáo Hoàng viếng thăm Nhật Bản nói chung, và Tokyo nói riêng đã tạo ra sự xôn xao nhất định trong nhịp sống chung quanh Tokyo Dome. Những khâu chuẩn bị cuối cùng cho Thánh Lễ tại đây đã được hoàn thành trong tối nay. Lượng du khách có Đạo tăng đột biến xung quanh khu Sân Vận Động này.
Là Đức Giáo Hoàng thứ 3 không phải gốc Ý (Giáo Hoàng Gioan Phaolô II là người Ba Lan, Đức Bê-nê-đic-tô là người Đức, và Đức Phan-xi-cô là người gốc Ác-hen-ti-na), và là vị Giáo Hoàng thứ hai viếng thăm Nhật Bản sau Đức Gioan Phao-lô II vào năm 1981, hy vọng rằng chuyến thăm Nhật Bản với thông điệp “Bảo Vệ Trọn Vẹn Sự Sống” (Protect All Life), và đặc biệt lời cầu nguyện của Ngài cùng Chúa cho người dân Xứ Sở Mặt Trời Mọc, sẽ khiến cho đảo quốc này càng ngày càng bớt thiên tai hơn và phát triển hơn nữa, xứng đáng là biểu tượng của một Châu Á phồn vinh và thấm đẫm văn hoá.
















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3.

教皇が記帳したメッセージ
 広島平和記念公園を訪問したフランシスコ教皇が記帳したメッセージは次の通り。
     ◇
 わたしは平和の巡礼者として、この地の歴史の中にあるあの悲惨な日に、傷と死を被ったすべての人との連帯をもって悼むために参りました。いのちの神が、(わたしたちの)心を、平和と、和解と、兄弟愛へと変えてくださるよう祈ります。
 フランシスコ
 2019年11月24日

19:33

「平和のための集い」が終了

 広島市平和記念公園で開かれた「平和のための集い」が終了。フランシスコ教皇が公園を出発した。
 「集い」の中で、教皇の平和のメッセージが終わると、参列者は「ひろしま平和の歌」を合唱。教皇は、被爆者のもとに再度近寄って何度か頭を下げていた。
 会場からの拍手や「パパ―!」と呼ぶ声に包まれる中、教皇は松井一実広島市長湯崎英彦知事らと言葉を交わして車に乗り込み、平和記念公園を後にした。

19:15

被爆地で平和のメッセージ

 訪日中のフランシスコ教皇広島市平和記念公園で、「平和の集い」に出席した。教皇は「戦争のために原子力を使用することは、犯罪以外の何物でもない」と指摘した。また、「核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるか」と述べ、名指しは避けながら、核抑止力を唱える国々を批判した。
 ローマ教皇が被爆地で平和のメッセージを出すのは、冷戦下の1981年に故ヨハネ・パウロ2世が訪問して以来、38年ぶり。フランシスコ教皇は広島について「大勢の人の夢と希望が、一瞬の閃光(せんこう)と炎によって消された。人類に刻まれた記憶であり、私は平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じてきた」と語った。
 教皇は演説で、「核の傘」の下にいながら平和について語る「偽善」を、強い言葉で非難した。「最新鋭で強力な武器をつくりながら、なぜ平和について話せるのだろうか。差別と憎悪の演説で自らを正当化しながら、どうして平和を語れるだろうか」
 戦争のために原子力を使用することを、「人類とその尊厳に反し、我々の未来のあらゆる可能性にも反する犯罪だ」と宣言。「次の世代の人々が『平和について話すだけで何も行動しなかった』として、我々の失態を裁くだろう」と警告した。さらに、60年代に核の抑止力を否定し、軍備撤廃を唱えた教皇ヨハネ23世が出した回勅(公的書簡)を引用し「真理と正義をもって築かれない平和は、単なる『言葉』に過ぎない」とも語った。
 その上で、フランシスコ教皇は人々に三つの行動を呼びかけた。これからの世代に「二度と繰り返しません」と言い続けるために「記憶すること」。自分だけの利益を後回しにして、平和に向かって「ともに歩むこと」。そして、原爆と核実験、紛争の犠牲者の名の下に「戦争や兵器はもういらない」と叫び、平和を「守ること」。これらが「広島においてより一層強く、普遍的な意味を持つ」と強調した。

18:43

平和記念公園被爆者一人ひとりと言葉交わす

 フランシスコ教皇広島市中区平和記念公園に到着。さまざまな宗教団体の代表者や信徒、被爆者ら約2千人が参列した「平和のための集い」に臨んだ。教皇が広島を訪れるのは、1981年以来38年ぶり。
 教皇は、招待された被爆者一人ひとりと言葉を交わし、手を握った。その後、原爆死没者慰霊碑に献花し、「高校生平和大使」の1人として国内外で核廃絶を訴えている広島大学付属高2年の松田小春さん(17)から渡された火をキャンドルにともした。
 松田さんは事前の取材に、「次に教皇が日本を訪れる時、被爆者はほとんどいなくなっているかもしれない。被爆者の生の声を聞き、自分がどう感じたかを世界に発信してほしい」と期待していた。
 その後、被爆者代表として梶本淑子さん(88)が登壇した。14歳の時、爆心地から約2・3キロで被爆したことや両親を亡くしたこと、被爆した友人が今も白血病やがんに苦しんでいることを証言。「平和を願う多くの人の力と亡くなった人の魂によって、核は必ず廃絶されることと確信しております」と訴えた。

17:30

教皇が広島空港に到着

 長崎から広島へ向かったフランシスコ教皇が、飛行機で広島空港に到着した。
 空港で出迎えたカトリック幟町教会(広島市中区)の神父、深堀升治さん(82)は取材に、「教皇の表情はにこやかで、お疲れの様子はなかった。広島から良い平和アピールを世界に発信していただきたい」と話していた。

15:15

教皇は広島へ

 ローマ教皇が長崎でのミサを終え、次の訪問地の広島に向かった。
 この日、教皇が長崎で訪れた三つの場所の周辺を中心に、あるものが消えた。
 午前中、長崎市中心部では激しい雨が降った。しかし、3カ所の会場内では、警備上の理由から傘が差せない。そのため、コンビニやスーパーで軒並みカッパが売り切れた。
 西坂公園に近いローソン長崎駅前通店や西友長崎駅店では、23日夜からレインコートが売れ始め、午前中には完売したという。ファミリーマートJR長崎駅店ではレインコートが完売した23日夜、急きょ、ほかの店舗からポンチョをかき集め、段ボールに入れたまま入り口付近に置いた。
 爆心地公園に近いファミリーマート長崎松山店の店長の女性は、この事態を「見越していた」。24日の雨の予報が出ていると知った2日前、レインコートのLとMの両サイズを180着ずつ追加で発注した。
 ただ、少し売れ残った。教皇がミサを開く県営野球場に移動する前に、雨がやんで晴れだしたからだ。
 在庫を抱えることになったが、店長は「長崎にとって特別な日だから、晴れますようにってお店のみんなで祈ってたんです。雨がやんで、本当によかった」。

15:10

教皇専用のオープンカー「パパモービレ」

 長崎県営野球場でのミサでフランシスコ教皇が乗っていたオープンカーは、トヨタの燃料電池車MIRAI(ミライ)」をベースに作られた教皇専用車だった。環境問題を重視する教皇の意向に沿って製作されたという。25日の東京ドームのミサでも使われる予定だ。
 教皇は大規模ミサの際、「パパモービレ」と呼ばれる教皇専用車で会場を回る。MIRAIは燃料の水素を空気中の酸素と反応させて生み出す電気でモーターを回して走り、二酸化炭素や排ガスを出さない。

14:00

ミサに3万人参列

 長崎県営野球場ではミサがあり、約3万人が参列した。フランシスコ教皇は「長崎はその魂に、癒やしがたい傷を負っています。その傷は、多くの罪なき者の、筆舌に尽くしがたい苦しみによるしるしです」、「今ここで、一つの祈りとして、私たちも声を上げましょう」などと述べた。
 フランシスコ教皇は「パパモービレ」と呼ばれるオープンカーに乗ってグラウンドに登場し、アリーナ席を周回。参列した信徒に笑顔で手を振って応えた。
 会場への入場は朝から始まり、長蛇の列ができた。雷もなる大雨の中、参列者はカッパを着て待ったが、昼前に日が差し、正午すぎには快晴となった。

10:45

西坂の丘でスピーチ

 フランシスコ教皇長崎市の西坂の丘で演説した。1597年に豊臣秀吉のキリシタン弾圧で宣教師や信者ら26人が処刑された場所とされ、歴史を伝える「日本二十六聖人記念館」がある。81年には当時の教皇、ヨハネ・パウロ2世も訪れ、メッセージを発した。
 教皇の出身修道会イエズス会とのゆかりが深く、館内には「聖フランシスコ・ザビエル自筆書簡」もある。1862年、当時の教皇によって、殉教した26人が「聖人」とされた。100年後の1962年、26人の等身大の記念碑と記念館が建てられた。
 先祖が長崎の五島列島で殉教したという長崎市の外輪保良さん(77)は、娘と孫とともに献花用の花輪を教皇に手渡した。教皇の入場時と退場時の2度握手。「温かく、とても柔らかい手でした」と話した。

10:15

高校生平和大使、教皇の言葉に勇気づけられた

 鎮西学院高2年の内山洸士郎さん(16)は爆心地公園で、フランシス教皇がキャンドルにともすための火を、「平和な世界に向けた第一歩になるように」という願いを込めて手渡した。
 核廃絶の署名集めなどの活動をする高校生平和大使の一員。今年6月、バチカンで教皇に謁見した。
 この日、教皇と言葉は交わさなかったが、その真剣な表情は「平和な世界の実現に向け、決意を新たにしたように見えた」という。演説の「平和の実現はあらゆる人の責務」という言葉に勇気づけられた。「署名を集め、平和を訴えていくことは自分の責務だと思えた。これから大変なことがあっても、この言葉を思い出して頑張りたい」

10:15

教皇が核廃絶のメッセージ

 長崎市爆心地公園にフランシスコ教皇が到着し、「核兵器についてのメッセージ」を表明した。「核兵器は世界や国家の安全を脅かすことから、私たちを守ってくれるものではない」などと述べ、政治指導者に向け、核廃絶を訴えた。
 式典には被爆者や信徒ら約千人が参列。会場には、原爆で破壊された長崎市浦上天主堂で見つかり、米国で保管され、今年8月、74年ぶりに浦上天主堂に返還された「被爆十字架」が飾られた。教皇の傍らには「焼き場に立つ少年」の写真も飾られた。
 公園は1945年8月9日に米国が長崎に投下した原爆が上空500メートルで炸裂した場所で、原爆落下中心地碑が立つ。
 長崎原爆語り部を長年続ける被爆者の下平作江さんは、献花用の花をフランシスコ法王に手渡した。式典後、「この爆心地を踏みしめることで、亡くなった人の思いを感じてくれたと思う。教皇のメッセージは核廃絶の大きな力になる」と話した。

24日9:20

ローマ教皇長崎空港に到着

 ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が、長崎空港長崎県大村市)に到着した。長崎はカトリック信者約6万人の信者を擁する、信仰の盛んな地。雨が降り、時折、雷もなるなか、歩道に100メートル以上の列をつくり、カッパを着た人たちが、日の丸、アルゼンチン、バチカンの小旗を振って教皇を出迎えた。
 大村市の信徒、川端啓子さん(76)は「感激しました。笑顔が何とも言えません。これからミサに行きます」と話した。

23日17時45分ごろ

ローマ教皇が日本に到着

 約13億人の信者がいるローマ・カトリック教会のトップ、フランシスコ教皇(82)が23日夕、東京・羽田空港に到着した。ローマ教皇の日本訪問は、故ヨハネ・パウロ2世が1981年に来日して以来、38年ぶり2回目。
 フランシスコ教皇は、26日までの滞在中、被爆地の広島と長崎を訪れ、核廃絶に向けたメッセージを発表する。25日には東日本大震災の被災者と対面。天皇皇后両陛下と面会し、同日夕には安倍晋三首相とも会談する。
 教皇は23日夕、前の訪問地のタイから、教皇特別機で東京・羽田空港に到着し、日本政府関係者やカトリック教会関係者から歓迎を受けた。
 フランシスコ教皇は、核兵器の使用と所有を一切認めない核廃絶を訴えており、今回の訪日には、被爆地の日本から「核無き世界」を全世界にアピールする狙いがある。
 日本政府は、2014年に安倍首相がバチカン(ローマ教皇庁)を訪問した際に、来日を要請。昨年には広島、長崎の両市長が連名で、訪日を要望する親書を送っていた。
https://www.asahi.com/articles/ASMCR7346MCRUEHF008.html

2.


教徒0.3%の国に教皇が来る意味 批評家・若松英輔氏


2019年11月24日06時00分

ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が来日する。私たちは、彼の言葉をどのように受け止めればいいのか。批評家の若松英輔さん(51)に聞いた。
 ――日本人の多くは、カトリックではありません。ローマ教皇の言葉をどう受け取ればいいのでしょう。
 今回、この時期の来日は、誰かが勧めたわけではなく、教皇自身で決めたのだと思います。
 まず、彼にとって日本がとても大事な国であることは記憶しておいてよいと思います。彼は神父になったとき、宣教師として日本に来ることを希望しました。しかし、健康状態が十分ではなく、そのときは許可が得られませんでした。
 彼は、自伝的なインタビューで、日本は戦後の焦土から奇跡的な発展を遂げた国であるということ、そして禁教令のあとでも潜伏キリシタンたちが、司祭の指導なく信仰を守り続けた国であると述べています。つまり、経済、政治、信仰など、様々なところに可能性を宿した国というのが、日本に対する彼の認識だと思うんです。
 なぜこの時期なのかという問題は、いくつかの側面から考えてみることができそうです。
 まず、フランシスコ・ザビエルの1549年の来日から、今年で470年になります。1919年に日本に初めて教皇特使が派遣されてから100年。第2次世界大戦中、バチカンとの国交が断絶し、1949年に再び教皇特使が日本に派遣されてから、ちょうど70年という、様々な節目でもあります。
 現代社会に目を移してみると、日韓関係、あるいは中国大陸でのカトリック教会の今後など、アジアにおける日本の役割を見極める、という意識があるのではないかと思います。
 日本のカトリック教徒は公式で44万人。総人口の0・3%にすぎません。彼は、「非キリスト者」に向けてこそ、言葉を届けに来るのではないでしょうか。キリスト者で集まるということは、それ以外の人々を疎外することになる。だから逆に、キリスト者が人々の中に入っていかなくてはならない、と強く訴えるのです。
 もちろんカトリックの人々にも大きな期待を寄せていることは、言うまでもありません。しかし、彼は同志であるキリスト者に、非キリスト者のところへと「出向いていく」ことを促しにくるのだと思います。
 教皇は、「出向いていく教会」という言葉を使います。これからの教会は、使徒のためだけではなく、すべての人に開かれた教会でなくてはならない。「国境を持たない教会」という言い方もしています。異質な人との交わりの中でこそ、自分たちの本来の使命、役割、あるいは可能性にも気がついていく。これが人類の歴史であり、キリスト教の歴史だと、彼は考えているのだと思います。
 教皇は「連帯」という表現を用います。これを彼は政治的な次元ではなく、いわば「いのち」の次元で実現しようとしている。
 さらに、ここでいう「連帯」とは、相いれないものとの連帯も含みます。わかり合える人たちだけの連帯では、今の世の中を良くするには不十分です。
 連帯とは何か、改めて考えさせ…




1.

このたびローマ教皇庁が、第266代教皇フランシスコの訪日を発表したことをご報告いたします。ローマ教皇の来日は、1981年の第264代教皇ヨハネ・パウロ二世以来、2度目となります。
今回の教皇来日のテーマは、「すべてのいのちを守るため〜PROTECT ALL LIFE」です。そのロゴマークも公開しています。今後、行事日程やミサの詳細、関連情報などを随時、本サイト等を通じて発表していく予定です。

https://popeinjapan2019.jp/




日本カトリック司教協議会は、教皇フランシスコの来日にあたり、教皇への献金をお願いしております。
皆さまからいただく献金はすべて、来日テーマである「すべてのいのちを守るため ~PROTECT ALL LIFE~」を具現化する活動のために、教皇にお使いいただくためのものです。
皆さまのあたたかいご協力を、よろしくお願い申し上げます。

お振込先

原則として、現金では受け付けず、本口座情報をご案内します。
※本献金は、寄付金控除を受けることができません。あらかじめご了承いただきますようお願い申し上げます。
※お振込期限 2020年1月31日まで
三菱UFJ銀行
金融機関名
三菱UFJ銀行(銀行コード:0005)
支店名
門前仲町支店(店番:338)
口座番号
(普通)0076636
口座名(漢字)
カトリック中央協議会 教皇への献金
口座名(カナ)
カトリックチュウオウキョウギカイ キョウコウヘノケンキン
ゆうちょ銀行
金融機関名
ゆうちょ銀行
口座番号記号
00100-9-673962
口座名(漢字)
カトリック中央協議会教皇への献金
口座名(カナ)
カトリックチュウオウキョウギカイキョウコウヘノケンキン(他行からの振込の場合)
支店名
〇一九(ゼロイチキュウ)店(店番:019)
口座番号
(当座)0673962

https://popeinjapan2019.jp/donation/

0. Kế hoạch thăm Nhật Bản đã được công bố từ đầu tháng 10 năm 2019


ローマ教皇フランシスコの来日日程、バチカンが詳細を発表


2019年10月4日20時21分        

+
ローマ教皇フランシスコ


バチカン(ローマ教皇庁)は2日、11月23日~26日に日本を訪れるローマ教皇フランシスコの詳細な来日日程を発表した。

発表によると、教皇は23日夕に羽田空港に到着。24日朝に長崎へ向かい、爆心地公園(長崎市松山町)で「核兵器に関するメッセージ」を伝えた後、西坂公園(同市西坂町)の日本二十六聖人記念碑を訪問。その後、長崎県営野球場(ビッグNスタジアム、同市松山町)でミサを行う。同日夕には広島へ移動し、平和記念公園(広島市中区)で「平和のための集い」を行い、同日夜に東京に戻る。

25日は東京で開かれる「東日本大震災被災者との集い」に参加した後、天皇と会見。東京カテドラル聖マリア大聖堂で開かれる「青年との集い」に参加し、東京ドームでミサを行う。その後、首相官邸で安倍晋三首相と会談し、「要人および外交団らとの集い」に参加する。

26日はイエズス会員とのプライベートなミサを行い、病気や高齢の司祭を訪問。最後に上智大学を訪れ、同日正午前に羽田空港からローマへの帰途に着く。

3泊4日の来日期間中、教皇はプライベートなものも含め3回のミサを行い、講話5回、メッセージ2回、説教2回を伝える予定。

発表された日程の詳細は下記の通り。

23日(土) バンコク-東京
午前9時30分 タイ・バンコクから航空機で東京へ
午後5時40分 羽田空港到着
歓迎式(羽田空港)
司教との集い(ローマ教皇庁大使館) 教皇の講話

24日(日) 東京-長崎-広島-東京
午前7時 航空機で長崎へ
同9時20分 長崎空港到着
核兵器に関するメッセージ(長崎爆心地公園) 教皇のメッセージ
日本二十六聖人殉教者への表敬(西坂公園) 教皇のあいさつ「お告げの祈り」
昼食(長崎大司教館)
ミサ(長崎県営野球場) 教皇の説教
午後4時35分 航空機で広島へ
同5時45分 広島空港到着
平和のための集い(広島平和記念公園) 教皇のメッセージ
同8時25分 航空機で東京へ
同10時10分 羽田空港到着

25日(月) 東京
東日本大震災被災者との集い(ベルサール半蔵門) 教皇の講話
天皇との会見(皇居)
青年との集い(東京カテドラル聖マリア大聖堂) 教皇の講話
教皇随行団と共に昼食(ローマ教皇庁大使館)
ミサ(東京ドーム) 教皇の説教
首相との会談(官邸)
要人および外交団らとの集い(官邸) 教皇の講話

26日(火) 東京-ローマ
イエズス会員とのプライベートなミサ(上智大学クルトゥルハイム・チャペル)
イエズス会員と共に朝食(イエズス会SJハウス)
病気・高齢の司祭を訪問(同)
上智大学訪問(同大) 教皇の講話
別れの式(羽田空港)
午前11時35分 航空機でローマ(フィウミチーノ空港)へ
午後5時15分 ローマ(フィウミチーノ空港)到着
https://www.christiantoday.co.jp/articles/27267/20191004/pope-francis-visiting-japan-schedule.htm
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